2019年4月30日火曜日

悟りたい 「痴聖への道」

自己愛に愛想が尽きて
「死者の世界は無政府だ。又、時間的限定を超えている。ゆったりとして悠久無限な時間を春とし秋とする。それは人間世界の帝王、君主の楽しみでも死者の世界にはかなわない。死者の世界における楽しみを捨て、再びあの人間世界の苦しみの中に身を置くなどまっぴらだ。」これは古代中国の哲学書「荘子」からの一節である。生きていることは苦悩の連続だ。その根源は我と言う意識だ。俺、私、僕。もうウンザリだ。「そんなに自分が可愛いのかよ~?」と自己愛の強さに
辟易する。と言いながら心の奥底でそんな自分を肯定している自己中毒の自分がいる。しかしこんな姿勢で生き続けていたらいずれ生き詰まることは明らかだと最近自覚し始めた。
自分の名刺の上に書かれた数多くの肩書に依存することが
不可能な宇宙的孤独が必ず訪れると知者は語っている。とは言うものの猜疑心に満ち満ち、実証できない物はすべて存在しないという姿勢で生きてき自分がいる。

端坐した禅僧の姿
そんな事を考えていた時先日、本で見た枯葉舞う銀杏の下で
静かな面持ちで端坐している颯爽とした禅僧の姿が脳に浮かぶ。そのイメージを脳裡に浮かべながらしばし名刺の上に書かれた肩書きのなかった前の自分を想像する。するとなんと心が軽くなるではないか!心にへばり付いていた心の重しが消え去った感じだ。

上せていた自分の人生
しかし何故か夜空に輝く星々は寒々しく、自分を突き離して
いる様にさえ感じる。又眼下に横たわる街並みは不気味にひっそりとしてよそよそしく感じられる。一体どうしたのだ?この僕の心の変化は?只只今迄の僕はノボセていたのだ。全てノボセて物事を見、生きてきたのだ。不安が僕の心一杯に広がっていく。知者の語るノボセにきずいた後訪れるこの世のものでは癒すことの出来ない耐え難き寂寥感を鎮め無重力の空間に漂っている様にさえ感じる失われた確固たる人生の足場を見出さねば!暗黒の宇宙に投げ出さるとはこういうことを言うのか?

絶対的心の平安の道とは?
その探索とは永遠の古里への道を探すという事かもしれない。全く不安の入り込む余地のない裂け目のない自分と外界が溶け合った世界への道だ。「そんな世界があれば?」と考えていた時ずっと昔に読んだ禅の「十牛図」と言う本が脳裏に浮かぶ。それは禅の境地を十段階に表わした真の平安へと
導く禅僧の死を賭した苦闘の軌跡だ。そんな苛酷の道など自分の力量では、それに今この年でと言う気持ちはある。しかしこの途方もない絶望感を鎮める方法が他にあるのか?追い詰められた。その道を歩んでいく以外に術はない。歩き始めよう。トボトボと。そんな心境で次回のブログから十段階の道を辿って行きたいと思います。




2018年12月30日日曜日

インドに救いを求めて(Part 2 )

「生きている」と言う実感
数日断食した後、水を喉に通した時の水分が全細胞に広がっていくあの生きているという実感。不快と感じる故に、そこに実際存在するものを虚飾的の物で覆い隠し、全て人間の本能の快を求める性向の上に成立した人為社会が大自然の気紛れで一瞬のうちに崩壊し、それまで目を背けていた全てが赤裸々に露呈した時の絶望の後に心のうちに訪れる奇妙な安堵感。そうした実感を求めインドへと旅立ち、ブッダガヤでは一心不乱に五体投地を行うラマ僧達、又ダライラマを待ち望むチベット人達の路上の人垣、そしてマザーテレサの施設「死を待つ家」でのヴォランティア活動を行い、それまでとは異次元の事を経験しました。そこには「これがナマの人生と言うものだよ!」と否が応でも目の前に突き付ける強烈な現実がありました。最少はオッカナビックリの逃げ腰。しかしパンドラの箱は開かれた。「その箱の中で見たものと生きていく以外に術がない。」と言う居直りの気持ちが生まれてくるとそれが解放感へと変化していったのを記憶しております。下記の文章は僕のインド滞在後期の経験をつずったものです。

ヨガ行者との出会い
緊張の連続で疲れ切った身と心には、ヤシの葉を揺るがす海風、無窮に広がるベンガル湾は何よりの慰安だった。又冷えたヤシの実のジュースは、限りなく甘かった。この延々と続く白浜をベンガル湾を眺めながら唯ブラブラと何もせず無為に過ごすことにした。
行きつけのレストランの給仕とも顔見知りになり、疲れも大分癒えてきたある日、海岸からの散歩の途中いつも気になっていた英語でデイバダム・ヨガアッシュラムと言う表札の掛かった高い門の前を通りかかった時、一人のヨガ行者が出てきた。顔見知りの給仕によると、そこはヨガ道場で時には外国人の生徒もいることがあるという。好奇心が僕の心を捕えた。早速接見の機会を得て生徒になる事を許された。その行者はまだ年の頃30代前半で、中国の老荘思想、仏教にも深く通じた知識人でもあった。ベンガル湾の海鳴りがまじかに聞こえる、海に面した道場の一室でヨガの手解きが始まった。午前はインド哲学の奥義書ウッパ二イ・シャドの解説がなされ、午後には初歩のヨガのポーズの実践教育があり、最後はオームと言う全宇宙を一つに表わした言葉を静かに心のうちに向かって発しながら始まるメディテーションで一日が終わった。時は永遠を刻んでいた。
自己とは何か?
行者によると時の始まり以来存在するアートマンと言う不滅の自己が、肉体が滅びる度に再生を繰り返し、最終的修業の進んだ結果は、この苦に満ちた現世に生まれ変わることなく、宇宙の源ブラフマンに帰するという。全ての説明は明確であり万物の生起は漏れなく説明されていた。しかし僕には
腑に落ちない点があった。それは一体アートマンの存在を本当に信じられるか?と言う問いであった。僕の西洋的、実証的思考は不確かなものの受け入れ事を阻んだ。
ヨガの勉学が一か月を過ぎ去ろうとしているある日、僕は海岸線を歩きながら考えていた。「フランスの哲学者デカルトは”我思う故に我あり”と言う第一命題に辿り着き、自分の哲学を打ち立てた。」僕はその時西洋の哲学書をひも解き哲学的になり切っていた。それは自己とは何かと言う、無限なる宇宙のもとで自己の実存の究極的問いを明らめんとする衝動でもあった。「しかし我とはそんなに絶対的信頼を寄せることが出来るものだろうか?一瞬一瞬自己は変化して止まない。数年前の自己は思い返してみると他人の様な気がすることがある。又肉体を通してアイデンティティーを図ろうとも
肉体は移ろいやすく、事故等によって変形し、元の形跡すら
留めないこともある。又脳裡に映った一瞬の感情、思考も真の我とは言い難い。絶対的に信頼を寄せた我が消滅した後、その今我を通して認識している対象物は引き続き存在し続ける保証はどこにもない。今目の前にある対象物も目を閉じると消え失せる。それと同様自分の死と共に全てが消え失せてしまう様な気がする。全てが夢のようであり、生は不思議である。結局どこにも我が無いとしたら、脳に映った対象物と自己にどこに違いがあるのだろうか?自己イコール対象物という事にもなりうる。



自己消滅=至上の喜び
「自己と対象物は同一である。」ここまで考えを進めて、僕は何気なく沖を見やった。すると沖合に力強くカイを漕ぎながら海岸に戻ろうとする漁師たちを乗せた一艘の漁船が目に入った。何かが僕の心の中で弾けた。南国の突き抜けるような空があった。僕は今、主体そのものに成り切っていた。海の泡となり、鳥ともなり、全ての五感が経験できる全ての物に成り切っていた。僕と外界を隔てる薄い絹の様なベールが
消え去り、僕と世界は同化していた。それは僕が経験した至上なる喜びであった。僕は今自分と信じて疑わなかった自我が消え、新しい自己が僕の中で目覚めた様な気がした。今僕は宇宙の生成の大動脈の一部であることを自覚した。それは故郷に帰還したような安堵感に満ちた感覚であった。その晩
日本を離れて以来初めて両親、恋人、友達の事を思った。インド到着以来五カ月が過ぎ去ろうとしていた。今インドへと
駆り立てたものが何であるかを知り、目的も果たされたように思えた。再び日本で生活しようと思った。帰国前に行きたい所があった。それはヨガ行者が頻繁に言及したチルカ湖という所であった。日本に帰国する前に心の整理をするには打って付けな所に思えた。プリの町からはさして遠くはなかった。行者に暇乞いを告げチルカ湖への道筋を聞き翌朝旅だった。

かつての日本での生活は?(チルカ湖にて)
チルカ湖は詩聖タゴールを始めとした数多くのインドの傑出した詩人、芸術家、思想家に大きな影響を及ぼした土地柄に
相応しいものがあった。周辺は深い静けさに包まれ、わずかに湖畔に打ち寄せる波音、鳥のさえずり、微風だけが辺りの沈黙を破った。ホテルの前方に広がった湖は、無休の広がりを見せ水平線に沈んでいた。夜になると湿地帯に生い茂った
草木には無数の蛍が飛び回り幻想的なムードを作り出していた。ここでは時は存在しないも同然だった。そうした悠久なる時間に身を任せ僕はこうした状況でいつも苛立ちを覚えていたのを思い出し苦笑した。確かに日本での生活は自虐的であった。只慌しく奔走しているのみで本当の心からの充実、満足と言う実感からはかけ離れ通り、時としてそこに「心が関与していないのでは?」と感じる事さえあった。それは自己との直面を逃避する事に目的が置かれ、娯楽、レジャー等がその手助けをしていた。人々は一瞬たりともじっと沈黙をしていることを恐れ、饒舌家の乾ききった声がアブの様に人々の耳元を擦過していた。切迫した衣食住の心配から解放された人々の関心は飽食、セックス、奇態な目新しいものや
出来事に向かい一時の官能的喜びを求め飽くことなく追従が
行われた。その追従は心の渇きを癒すかのように執拗に続けられ充足されては又求めた。それは人間が大自然の中の唯の
落とし子に過ぎないという事を忘れた傲慢な社会だった。しかし人人も又犠牲者だった。人間の野性的、原始らの叫びが、過度に管理され、抑制され、健全に消費されることのない社会では、その出口をどこかに見出さねばならないからだ。

人生の暗と明部 (星と闇との下で)

その晩僕は日中知り合った茶屋の店主の勧めで当地有名な月の出を見に、一艘の船に乗って沖に出ることにした。その晩は雲一つなく夜空は無数の星が散りばまれ闇との絶え間ない
呟きが交わされていた。僕の乗った船はカイを漕ぐたびに生じるギー・ギーと言う連続的な音を立てながら沖へ沖へと進んで行った。既に周辺は闇と化していた。暗闇に包まれた湖上の真ん中で僕はただ一人。僕の意識だけが自分を生を確信させてくれる拠所だった。月の出は遅かった。沈黙に耳を傾け静かに待った。多くの事が僕の脳にに訪れては消えていった。人や動物の排泄物、腐乱物の散乱したコルカタのスラム街、焼けつくようなギラギラした太陽の下で板の台の上に乗せられ、数人の人々の肩に担がれ町を縫って火葬場へと運ばれていく死体、絹のサリーを優雅に着飾った婦人の行きかうコルカタ繁華街の路上のらい病に侵され手首共々歪んで立つこと来ず体を地面に横たえたまま物乞いする老婆、1ルピー
[約10円)を得るために執拗に旅行者に追いすがる不可触せん民[インドの最下層の人人)の少女たち、どれもが皆人生の一側面を映し出し真実を伝えていた。確かに日本での生活も人生の一側面であった。しかしそれは全てではなかった。人間は明るいもの、快い物を自ずと好む性向を持っていた。しかし人生の暗部を一生押し隠すことは不可能だった。
真実を目隠しした社会はいずれその歪みが現れ安定感を失う宿命にあった。世界は全て両面あわせもっていた。美と醜、
貧と富、強者と弱者等、それらを全て合わせ持ったのが世界だった。それらはどちらも善とか悪とかいう人間的価値判断を離れて存在し、我々と同時代を呼吸していた。穏やかな感情が僕の心に訪れた。それは死刑因が自分の死を受け入れた時の穏やかな心に似ていたもしれない。
前方の暗闇から、明かりが薄ら漏れてきた。ついに月の出の始まりらしい。僕は力強くカイを沖へと進めた。その方向に日本での新たな僕の生活が待っていた。





2018年12月20日木曜日

インドに救いを求めて (禅の出発点)

インド放浪へと
数十年程前、僕はインドを6カ月程放浪したことがあります。日本での些細な事にも「いい加減さ」を許さない過度の管理社会に全細胞が硬直化するのでは?と言う危機感を覚えると共に、人々の振る舞い、言動の嘘くささが耐え難くインドのカオスと全てが剥き出しの社会に一息つこうと旅立った訳です。そこには僕が想像して以上の物がありました。
     
インドで見たもの
人や動物の排泄物や腐乱物が無造作に散乱したスラム街、焼け付くような太陽の下で一枚の板の上に乗せられ数人の人の肩に担がれ街を縫って火葬場へと運ばれていく死体、絹のサリーを優雅に着飾った婦人たちの行き交う繁華街の路上で、らい病におかされ手足が歪み立つ事さえできず体を地面に横たえたまま物乞いする老婆等、人生の負の側面を余すことなく伝えておりました。                                                    
新たな人生の出発点(尋牛)
禅の書物に「十牛図」というものがあります。それは最終的に何があっても揺れ動かない絶対平安なる心の境地に達する
迄の段階を十に分けた本でまず第一段階は真の自分を失った
事に気ずき、その自己を求める尋牛[牛は真の自己、牛使いは自己意識の象徴)です。僕にとっての尋牛は正に心の内からインド行を渇望する気持ちが起こったという事にあると思います。その当時の気持ちを振り返ってこのブログに記してみました。インドにはすり減った心を甦らせてくれる強烈なパワーがあります。又、「人生そんな構えなくてもいいんだよ。」と息詰まった心を和らげてくれる「いい加減さ」があります。このブログを通し僕が経験した思いを分かち合える
人がいれば幸いなる次第です。                                       
                          
  

仏陀成道の地へと
僕をインドで出迎えたものは、余りに強烈であった。どぎつい極彩色の風土、淀んだ熱風、路上の牛の糞尿、執拗に追いすがる物乞い、人々を射抜くような鋭い眼差し、粗暴な身のこなし。僕の率直な反応は拒絶反応であった。しかし後に戻る事は選択肢はなかった。不安と乱れた心を押し隠し、一路
仏陀成道の地ブッダガヤへと向かった。ガヤと言う駅で汽車から降りた後、自動三輪車に乗り継いだ。もう遠く離れて
いなかった。二千五百年ほど前、当時一苦行層に過ぎなかったブッダが、実際歩いたところを今三輪車に揺られながら通っているという思いは、特別な感があった。途中乾いた川岸
に白牛の大群が、のんびりと横たわっていた。その川岸の対岸は、長い修行の末弱り切った仏陀にミルク粥を差し伸べた
娘の名前から取られた、スジャータの村があった。二千五百年前がそこにあった。

ブッダガヤの町で
ブッダガヤの町は、仏陀成道の地に反しないものがあった。
日本、タイ、チベット、ブータン、中国等の各国の寺寺が林立し巡礼者に満ち溢れ、各々の寺ではメディテーション、セミナーが盛んに行われ、世界各国の人々を吸収していた。路上ではインド特有の花火の様などぎつい色をした線香、数珠、宗教絵本等が売られ、否が応でも町全体宗教ムードを作り上げていた。街の中央に位置した仏陀成道の場所に建立された大菩提寺では、チベットのラマ僧の呪文が流れ、体全体を大地に投げ出し、又起きては投げ出す「五体投地」と言う荒行を延々と行っている僧もいた。
ブッダガヤ到着の翌日僕は数人の西洋人と共に、日本寺にて
生まれて初めて座禅を組んだ。重奏な鈴の音がただ広い堂内
の空気を震わせ、張り詰めた緊張感を与えていた。勤行が唱えられ、その後は静けさの世界だった。時として蚊の飛ぶ音が聞こえ、あちらこちらに蚊取り線香の煙が立ち上っているのが見受けられた。時間は止まっていた。穏やかな気持ちが
僕の心をとらえた。そこには僕が今まで経験した興奮も、感激も、心の高揚もなかった。しかし心のつかえが取れた様な
快い解放感があった。

ダライラマが来る
宿への帰路、沿道に無数の人垣が埋まっていた。チベットの宗教指導者、チベット人にとっては仏陀の生まれ変わりとされているダライラマ来訪を待ち受けるチベット人の集団だという。老若男女、その中には西洋人さえ混じっていた。それは異様な雰囲気であった。体当り的であり、全てを託している様さえ感じた。信仰。言葉で知っていたが、その生きた形を見るのは初めてであった。エネルギーが迸っていた。その晩宿で町の本屋で買い求めたチベットの本を、夜遅くまで読み耽った。
鳥葬をを見て生気が
本の中の写真が壮絶なシーンを伝えていた。それはバラバラに切り裂かれた人体の肉片を啄む鳥の群れであった。写真の遠景には広大なヒマラヤ連山の裾野に平原を眼下に、大きく
弧を描いて飛翔する鳥の姿であった。役目を終えた肉体は,他の生物の中で新しい細胞を生み出す。それは万物生成の変化の縮図であった。またそれは人間的感情すら寄せ付けない
厳粛なる太鼓以来の真実の世界であった。本はその写真が高名なる僧の死の際等に行われる「鳥葬」と言う名誉ある弔い形式であることを説明していた。人間は大自然の中では卑小な存在であった。何かが僕の心の中で薄らいでいくのが感じた。それは僕の中で中核をなし、誇りにさええ感じていた西洋的自我の意識であったかも知れない。失われた生気が甦ってきた。何か今までとは全く異なった発想の肯定的な事をやってみたいと言う気持ちが湧いてきた。日本寺で出会った西洋の若者のコルカタのマーテレサの下でのヴォランティア活動の話が思い出された。その思い付きはその時の僕の気持ちにぴったりと合った。翌朝、大菩薩寺に丁重に礼拝し一路コルカタへと向かった。


マザーテレサの愛の施設
マザーテレサの”死を待つ家”は、コルカタの中心街からバスで約十数分の所にあった。その施設は、路上で倒れた寄る辺ない人たちの収容所で、マザーテレサのシスターたちを中心としてマザーの愛のメッセージに共鳴した世界の若者達によって運営されていた。運び込まれたほとんどの多くは、不治の病に冒されており、簡単な医療手当を受け間もなく死んでいった。そこでのヴォランティア活動は特に一定の決めれた仕事はなく、体の不自由の者には入浴や食事の手助けをし、又食器を洗ったりすることを主たる日課としていた。時として爪を切ってやったり、手や背中を摩ってやったり、各自気持ちの赴くままに、自主的に自分の気持ちを表現することに主眼が置かれていた。ヴォランティア参加者の中には自国でPHDコースを取得した後、直ちにこの活動に参加し、すでに六か月を迎えようとしている西洋人もいた。

献身的シスター

ここにいることは決して楽な事ではなかった。緊張感が支配していた。死の臭いがした。収容された者のほとんどが観念したように運命を受け入れ、ただひたすら最後の時が来るのを待っているようであった。痩せ細った腕、生気の失せた顔色、全身火傷で捲れ上がった皮膚、虚空を見つめる眼差し、全てが人生の暗部を呼吸していた。かつて僕は自分の労働に対し報酬を得ることは当然と考えていた。しかしここでは違っていた。全てが無報酬であった。幾度となく僕は立ち去る正当性を考え出そうとした。しかし献身的で明るく振舞うシスターたちの姿に自分を恥じ、理性は僕にここに留まる事を命じた。シスターたちの働きぶりは目を見張るものがあった。「何が彼女たちをそこまで突き動かしているのだろうか?」と、僕は自問した。聞くところによると、彼女たちの多くが何不自由ない家庭で育った中産階級出身の娘さんであるという。理性的、合理的判断ではなかった。そこには僕の推し量ることの出来ない大きなもの、絶対のものが彼女たちを動かしていた。


運ばれてきたインドの乞食
ヴォランティア活動も、二週間目に入ろうとしていた。いつもの様に入口に掛かったキリスト受難象のレプリカに目をやりながら、薄暗い室内に入ると騒ぎが起こっていた。騒ぎの中心にボロを纏った老人が弱弱しくうずくまっていた。髪は
埃と汗でベッタリと頭にこびりついていた。さっそく消毒液風呂の体洗いが始まった。痩せ衰えた体は軽そうに見えたが
他人に全てのみを預けた体は意外と重かった。タワシの様なヘチマで、なんども力を入れて洗った。体を洗い終えた後、散髪が始まった。まず温水を伸び放題の髪に十分かけ、ハサミでジョギジョギと無造作に切り落とし、その後たっぷりと虎狩になった頭に石鹸を泡立て,カミソリで坊主頭に仕立て上げた。その間路上の人は、意味不明のヒーヒーと言う声を
発するのみであった。そして十数分後、小ざっぱりと変身した身寄りのない患者は毛布に包まりベッドに静かに横たわっていた。その日以来、その老人の面倒を見るのが僕の日課になった。

重症の老人と共に
その老人は重体であった。見動き一つ出来ず、一匙のスープでさえ喉を通すのがやっとであった。食事は時間がかかり,五匙程のスープで一回の食事は終わった。排泄物はその場で
容器に行った。老人は終始大きく見開いた目で天井を見つめ、しばたきを力なく繰り返した。リンゲルが打たれた。容態は回復する兆しはなく時間の問題だった。ある時、水を飲ましてやっていると老人の目が自分に注がれているのを僕は
感じた。無防備な目であった。何の装いもなくその眼は僕の
顔を見つめていた。そこには死への不安と恐怖があった。これ程まで包み隠しもなく死への恐怖を訴えた目を見たのは僕は初めてであった。数日後老人は死んだ。その日僕は老人の死体を純白な布で覆うのを手伝い、最寄りの火葬場までついて行った。老人の顔は生前よりずっと穏やかな表情を浮かべていた。

老人の死後心にポッカリと穴が
ヒンズー教徒の誰でもが望む生の末路は、ガンジス川の川岸で家族に見守れながら荼毘に付され、その灰を流されることだというのを僕は聞いたことがあった。滅びた肉体が火によって化学変化を起し、一部は天空に塵埃と帰し、一部は大河に消えてい行くこの自然の大摂理を僕は今、自然に受け入れることが出来るような気がした。”死を待つ家”でのヴォランティア活動も一か月が過ぎ去った。僕が死を見届けた老人がいなくなって以来、ポッカリと心に穴が空いたのを感じた。
休息が必要だった。ヴォランティアの仲間からコルカタから
電車で数時間程行ったところにあるプリと言う避暑地を勧められた。数日後その地に旅立つことにした。

次回のブログではヨギ行者との出会いや、瞑想的雰囲気に包まれたタゴールなどの詩人にインスピレーションをもたらしたチルカ湖での月の出の体験などについて記したいと思います。











































2018年12月4日火曜日

Seeking Zen For Salvation (way to idiot saint)

Self-love,enough enough enough
"The world of death is anarchy and beyond limit of
time. Slow,endless and infinitive time embraces
spring and fall. Even the pleasure which the empires of the past time enjoyed can't beat the world of death. I have no wish to throw away this
pleasure  and to place myself in human world full of agonies!" This is a quotation from Taoism , an ancient Chinese philosophical book.  Life is continuation of suffering. The root of suffering is the consciousness of me. I, I , I, enough, enough
enough. Asking myself "How come you love yourself so much?" , I feel sick of self-love. But
at the depth of my mind I find another self-addicted myself affirming such myself. I sense that
I will come to dead-end sooner or later and that
the time will come when I face  cosmic loneliness 
without being able to depend on a large number 
of titles written on my visiting card. What can I do
about it? I have lived a life with the attitude of denying what couldn't be logically proved. 
Image of zen priest sitting quietly
When thinking of such a thing , a gallant image of a zen priest with unmovable face under dancing
 ginkgo leaves rises in my mind. With the image in my mind,I extend my imagination as far as the time before I had  titles. Then how light my mind become!It was as if all sinkers sticking to my mind has gone. 
Life with blood rushed to my head
When I look around myself in such a state of my mind, I feel somehow all the stars shining above
coldly as if they were pushing me away  and the appearance of downtown sunk down below looked unfriendly. What on  earth happened to me? This change of my mind! The fact is that I had been living with blood rushed to my head. I had seen everything in the state of my mind. Now that my head cooled down, I must find the new way of living for myself who lost the firm ground and drifting in the air. The way of my new life must be built on my true self. 
The way to absolute peaceful mind
It was the way leading to everlasting hometown 
with no room for anxieties to rush in , that is to say the way to seek NO MIND not belonging to either living nor death. Long time ago I once read
a book titled " The ten ox-herding pictures and 
commentaries " depicting the stage of zen practice
leading to the enlightenment. The book was written  by a Chinese monk in 12th century. If I follow  the path shown in the book , my mind may
get a little lighter. In such a disparate mind I decided to walk along the path , ready to sacrifice
everything . I feel that this is the only way for me
to survive  although I am not sure if I can find the way to patch up myself. In the next blog , I'd like to write about the first step to recovery. 

Introduction of the book
In the book appear an ox and the ox tamer. The ox
symbolizes the ultimate undivided reality, the 
Buddha nature while the tamer symbolizes the self, who initially identifies the individuated ego.
They are separate at first, but with progressive 
enlightenment, united in the realization of the inner unity of all existence.




2018年11月20日火曜日

Noble Spirit badly needed in our days

Money Or true Happiness
Hardly do I see people , men or women, with noble
spirit recently. Even in the field of fiction we can
hardly meet heroes nor heroins who have a spirit 
noble enough to sacrifice themselves for love or
their idealism. Some people of today say, "No longer do we live in such an age as when people's
spirit were naive enough to rely on the religious
teaching for the basis of their living even if at the
sacrifice of materially wealthy life or pure enough to satisfy spiritual happiness with little material
comfort. It looks that lust has gripped our mind so
entirely that their reasoning-power has gone numb enough to give priority money more than
health. 

Mother Teresa
Every day I open the newspaper expecting to find
warm articles covering the act of noble spirit only
to fall into despair. I know that we are all born with selfish disposition but not long time ago we had such figures as Gandhi , Mother Teresa and so on. Never do such an age come back again?
Sri Lanka
Back to about 35 years ago I stayed with some 
Japanese monks wearing yellow robes in their
temples at the foot of sacred mountain in Kandy,
the old capital of Sri Lanka for one month. The 
Japanese monks were so selflessly devoted to their
belief that they kept recklessly traveling all over
the world with little possession for religious mission striking a little drum . They were literally 
leading a self-denial life. Half way through my stay
the pioneer of their religious organization , Rev.
Fujii Nitatsu, a candidate of Peace Novel Prize,
happened to come all the way from Japan at the 
age of 98. 

shocking words of pioneer
On the night of the next day there was a discourse
by him. Towards the end of the discourse at midnight he said to his followers almost shouting " If you are not ready to live a life poorer than that of beggars in India, you are not entitled to do religious activity,nor my followers . I have lived for 98 years only for the purpose of reviving Buddhism in India where Buddhism was born. Last year an young Indian man came to our temple asking me to accept him as my follower. I was very moved."
 A string of Tears 

When he said so, I saw a string of tears rolling down on the cheek of an old monk who bore all
kinds of mental and physical hardships. He was 
a man of noble spirit. Since then I almost gave up
the hope to appearance of a person with noble
spirit.

Still noble spirit exist
But only a couple months ago HE came along with
half wort out T-shirt in an old car. He is a 79 year-
old- years volunteer. He became famous for finding
a boy who lost his way in the mountain after a big
group of self-defense force had looked for the boy
for nearly a week in vain. What is great about him is his unchanging modest attitude towards people's praise . When he was offered by the family of the boy concerned to take a bath in their house, he merely said, " Your kind offer is more than enough" He kept refusing mass-media's interview.He carries everything necessary for living in his car, sleeping in the car, cooking himself and so on.He says , " To be helpful to people in need is his reason for his living. He has been leading such a sacred like life for more than 15 years without expecting anything in return. 

Noble  spirit still exist
He is a junior high school graduate because his family was too poor to give him higher education.
But his spirit is much nobler than that of any critics or scholars who play the role of goodhearted human beings on the side of people in need. The only pleasure he enjoys in his life is to take a free open air bath with local fellows. He has a heart warm enough to share sadness with people in trouble.To know his kind of existence makes me feel that life is not still too bad. His name is Obata Haruo.




2018年10月28日日曜日

"HELP" の究極の声

人生を長くやっていると・・
人生を長く生きていると、多くの苦悩に遭遇する。その苦悩も自分の努力、医学などの力ではどうしょうもない種類の悩みを経験するようになる。そんな時我々の多くが問題解決の
術を失い、途方に暮れ、悲嘆の余り絶望に陥ること多々ある。しかし最近僕は苦悩そのものは完全に消え去るわけではないがかなりの程度緩和する方法を見出した。

人間のモノサシを捨てる
それは一言でいうと不完全な人間のモノサシを全て捨て、自分自身の知的判断、物の考えを標準としないことである。
いくら偉そうなことを言っても我々の物の考え方など、所詮
生まれた時の遺伝、その後の境遇,習慣、教育、経験等の
「寄せ集め」に過ぎない。それに我々の苦悩と言っても、それは欲望充足に根差しており、一つの苦悩が消え去れば、本当に心安らかになるかと言えば決してそんなことはなく、再度次の悩みが頭をもたげてくるのが実情である。又、悩みがなかなか解消しないと、まるで子供の様に愚図り始める。もちろんそれは人間として自然なことかもしれませんが、そんな状況においても幾分でも平然としていられる方法はないか?と、日々小さな事にも動揺する心で考え、様々の事を行って来ました。それが下記の事です。

ナムアミダブツ
それは一言でいうなら「まぁ、人間どうにもならないこともあるさ。所詮成る様にしかならないもんさ。」と言ったまな板の鯉の心境と類似していると言っていいかも知れません。具体的には僕が試みたのは「ナムアミダブツ」と、全てを仏に身を委ね唱え続けることです。自信満々の顔をしている大人でも心の奥底では不安があります。そもそも生きていくこと自体不安と共存するという事なのかもしれません。僕もよく自分自身の振り返った時自分に愛想が尽き全くやるせなくなる時がよくあります。

今のご時世で
今日この種類の話をすると多くの人が「今の時代では時代錯誤もはなはだしい。」と言った反応をし、自分が論理と理性に基ずいた知的考えの持ち主であることを誇りにしているように見られます。そのような人に会う度に僕は死と向かい合わざるえなくなって時、一体彼らはどこに心を委ねるのだろうか?という問いが心に湧いてきます。おそらく彼らはそこまで考えざれえないほど追いつめられた経験がないのでは?」と思わずにはいられません。

それは「空」の状態と同じなのでは?
遅から早かれ、100%その日は来ます。その時助けを求める声は「ナムアミダブツ」である必要はないかもしれません。「お~、神様どうかこの罪人をお助け下さい。」でも同じ効果があるかも知れません。しかし、不思議です。ただ単純に「ナムアミダブツ,ナムアミダブツ」と連呼するだけで悩みが軽くなっていくのです。もしかしたら「ナムアミダブツ」を唱えている時の心の状態は、「空」の状態、つまり大宇宙と一体になっているのかもしれません。本来のあるべき状態になっている。故にのそのように心が軽くなるのかもしれません。



















2018年8月2日木曜日

四無行 (断食・断水・不眠・不臥)

究極の終活
秋の深まったある禅寺の一室。一人の茶人と一人の禅僧が向かい合っている。茶人曰く「茶道とは一杯のお茶をただ飲み干す事なり。禅僧答える「だがそのただはそう容易く手に入らんぞ。」と。僕はそのただを手に入れるために生涯にわたって様々の事を行ってきた。一週間一人の山小屋籠り、仏陀
常道の地ブッダゴヤを中心とした仏教5大聖地巡り、週末泊りがけの参禅、夏季参禅会の参加を始めとして長年にわたり
仏教書、哲学書を紐解いてきた。しかし未だにそのただは手に入れていない。最近歳を意識するようになってきた。「一体いつになったら、どのようにしたらそのただが・・・」と言う思いは強まるばかりだ。そんな折、僕は四無行という行を知った。それは9日間、食、水を断ち一睡もせず、横になることも許されない正に死を覚悟したこの世とあの世の境界線を彷徨う行だ。僕は即座に思った。「その地点まで自分を追い込めばそのただが手に入るにちがいない」と。
生死を明らめる。それは正に真の意味での究極の終活と言えよう。僕はまるで自分が行者になったかの様な張りつめた気持ちでその行を成し遂げた人の記録を読んだ。そのただが手に入るヒントを見出すことを願って。以下の文章が僕が読んだその記録である。
四無行のあらまし
この行は千日回峰行(山頂1355mの山道を毎日48km
16時間9年かけて行う)を成就した者のみに挑戦が許され、9月28日~10月6日に行われる。人間の生存に不可欠な物を断つ故に成就率は50%と言われている正に死を賭した行である。元に当日行者は死出装束を身に着けて生き葬式を行う。その儀式には親族はもとより、行者に生前縁のあった人人が列席し、行者はその人達の前で「本日より四無行
に入ります。もし神仏が利他行(それまでの行は自利行とされる)を必要とせぬと判断されたら皆様と永遠の別れです。
有難うございました。」と口上を述べる。僕は思う、「この覚悟こそ茶道の一杯の茶をただ飲み干す入口ではないか?」と。元に行者は後日「不思議なことに当日恐れ、不安はなくあるのは幾分の高揚感と、神秘的感覚で全体として心は清澄感に包まれていた。」と、振り返っている。正にそれは無心の境地と言えよう。
9日間の軌跡










一週間前 :一日2食そして1食と食を減らしていく
3日前  :食を完全に断つ
初日   :・親族・本山の館長を始めとした一山の僧侶達
       と最後の食事をとる。本人は箸をつけず。
      ・親族・住職・行者の順で50m先の行を行う
       本堂へ入る。行者はこれが外界の景色を見る
       最後かもしれないと思う。
      ・108回の五体投地(立ったり座ったりして
       頭を両肘と両膝を地につけて礼拝)を行う。
       その間一人ひとり行者に別れを告げ本堂から
       出てくる。そして御堂の扉が閉められる。

   この日から最後の日まで毎日行うお勤め
         ・一日3回1時間強の密教の作法を本尊の前で
       行う。
      ・一日一回仏にお供えする水を天秤棒で運ぶ為
       に外の井戸まで汲みに行く。行者の過度の
       衰弱なため二人の僧侶の助けを借りる。
         ・それ以外の時間は2種類のお経を10万回ず
       つ唱え続ける。
2日目   行者の日誌から
      「やはりこの行は手ごわい。体の力は抜けるし
       心臓は踊る。しかし千日回峰行の苦しみを体
       が覚えている。どんなことがあっても負けな
       いぞ。」
 *ここで述べている肉体の記憶に茶道のただの手に入れる
  方向性を見出す。頭で覚えた知識が役に立つのは心に余
  裕のある時までの事だ。それでは対処できない地点まで
  追い詰められた時人間の知から解放されたありのままの
  世界が現れるのでは?

3日目
 ・魚の腐った様な死臭が漂い始める。
 ・死斑やシミが浮き出て爪の先から紫色に変色し、唇が
  裂けてくる。
 ・幻覚・幻想が始まる。
 ・貧血状態で雲の上をふわふわ歩いている歩いている感じが始まる。
  




 *この世における全ての認識は我々の脳の意識を媒介とし
  ている。しかしその意識が薄らぎ確固たる依存できる物
  ではなくなってきた時、その意識に代わって動き始める
  我々の主体とは?その主体が我々の真の極相と言われる
  ものかもしれない。
4日目
 ・雲の上を漂っている感覚はじんじんする背中の痛みで我
  に帰る。足は腫れ上がり耐え難き痛みが訪れる。
 ・頭を支える力さえなくなる。
 ・感覚が異常な程敏感になり線香の灰がこぼれ砕ける音が
  聞こえる。
 ・遠くで話している人々の声が聞こえる。
 ・嗅覚も鋭くなり外から入ってくる人の臭いで誰だか分る
 
 *この状態まで至ると人が大地に産み落とされた時の
  後天的常識、知識によって心が着色する前の無垢なる
  生命体の透明な認識作用が機能し始めるのではないか?
  それは自己意識から解放された天空を自由に飛翔する鳥
  の様な自由な境地に近ずくとではないか?

5日目
うがいが許される。たかがうがいと言っても四無行の中で水
を断つこと程辛い行はなくこの日が来るのを行者は生きるか死ぬかの境界線で待つ。元に5日振りに水を口に入れると粘膜がチュルチュルという音がするかのように感じ皮膚を刺す
ような痛みを覚える。うがいは2つの茶碗が用意され1つの
茶碗に水がいっぱい注がれ他方の茶碗に口に含んだ水を吐きだすと言う様に行われる。水の量が同一の場合水を飲んでいないと判断し行は続けられる。
四無行の中で最も辛いのは断水で、不眠は3日より睡魔は消失し、断食、不臥はそれほど辛くないという。
6日目
 行者の日誌より
 「体重は1日1kg痩せてきて今は大分痩せたと感じる。
  心のやる気は健在だ。今が幸せ、楽しい。」

 7日目
 行者の日誌より
 「普段私たちは如何に幸せでしょう。食べる物が無い人
  が世界には無数にいる。その苦しみに比べれば自分の
  苦しみなんて。どんな辛くとも取り乱さず、優しさ
  大らかさとのびのびと清らかな心で行じれば必ず仏に
  守らているのだ。」

 *もうこの時点では自分の力で!という意識すら消え失せ
  薄らいだ意識でただ不屈の信念と感謝の気持ちで世界に
  心を開いているように見える。心の中に何の障害物がな
  いから自分の心に入ってくるものは全て自己と同化し
  それが「今が幸せ」と言わしめているのであろう。心の
  平安、安らぎ、これが終活の真の目的ではないか?

8日目
 後一日だ。

9日目
 出堂
  ・本堂の正面の本尊の前でその周囲を3遍回る。
  ・お茶を飲む儀式を行う。実際は飲まず。
  ・2:00am 重く閉じられた厚い扉が開く

   外には親族、一山の僧侶たちが待
        っている。 
  ・自坊に帰る
  ・重湯を食べる。
            満行
行を終えて語った行者の言葉

どんなに肉体的に限界に近ずいていると感じようとも私に
は「行の中止」という選択は一度も考えたことはなかった。
一歩先に行けば死が待ちうけているという生死の境界線を
彷徨っている時、私の心にあったのは動物としての苦痛感と
「最後まで!」と言う自己に対する命令だった。3日目頃から渇水の為地獄を経験した。そして5日目うがいが許され
水が口に入って来た時の肉体を通して味わった真理の発見
とこの世とあの世が融合したあの感覚。「水がなければ人
は死ぬ。」こんな単純なことだった。そして薄らいだ意識で
「この水は一体どこから?」と考えると空気、太陽等全て
無条件で自分に与えられていることを強く意識した。すると
感謝の気持ちで心が一杯になり、涙がこぼれた。人は大自然の微妙なバランスで調和を保たれた環境でちっぽけな存在としてただ生かされているだけなのだ。その自然律に逆らわず
人間的分別を捨て無為に生きる事。それが私が行を通して得た人間として真の幸福の道です。

秋の深まった禅寺の一室。行者と禅僧が向かい合っている。
禅僧一服茶をたてる。行者その一杯のお茶をただ飲み干した。