2014年10月27日月曜日

 タゴール{インド哲学}&無心  -癌の不安からの解放ー

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「もしかしたら…癌かもしれない」

最寄りのクリニックの診察室の中。「この間の検査の結果ですが、再検査の必要が・・・」と医師。
「ということは、癌の可能性が更に高まった・・・」と心の中で絶対「そんなはずが」と打ち消しながら動揺する自分と、ここで平常心を保てなっかたら今までの精神的修業が何のためだったのか?と動揺を認めたくない僕のプライド。「とにかく、一週間後結果が出ますので、また来てください。」と事務的に答える医師。「まあ~、大丈夫でしょう。」との医師の優しい言葉を期待して
医師の口の動きを食い入るように凝視する自分。が、その儚い望みは消え、弁護士のいない裁判で、死刑の宣告を受けるような覚悟を強いられた気持ちになった自分。
そして、長~い長~い一週間が始まった。
とにかく、頭は冴えわたっている。台風一過の後の澄み切った空気のように、頭の中にへばりついていた塵、垢が一掃され物事の本質がよく見えるような気がする。人がとるに足らないことにこだわり、大騒ぎをしているのに驚く。生活はいつもの通りだ。しかし心の奥底に今までにも増して冷めた自分がいる。「もしかしたら…」の可能性に「もう、やることは十分やってきたし…」と運命を
平常心で受け入れる理性と、「でも、まだ・・・」と運命を拒否する生命体の本能がある。後者が
不安と怖れを生んでいる様な気がする。そんな心の状態で死を生命の終着点として、当たり前の如く喜んでその運命に服する道はないものか?とその可能性を、今自己の死を自分事として心細い気持ちで日々を過ごしている僕の同胞者たちと共に探っていきたいと思う。

あった!過去にも現在にも。死を歓び生を嘆く死生観が!

「この人生は見知らぬ土地を通過していく旅に過ぎない。人にとって最大の幸福は生まれてこなかったことであり、次に死ぬことである。そして親類の誕生はみんなで嘆き悲しみ、葬儀を心から喜んだ。」との衝撃的な一文は16世紀活躍したフランス人の宗教改革者ジャン・カルビンという人が書いた一文である。この生の価値を全面否定した死生観は深夜一人どこからともなく心のうちに湧き起ってくる心締め付けるような人生の空しさに、体内から血が引いていくような思いを経験したことのない者にとってただ不快な考え以外の何物でなく、むしろ反発を覚えるものかもしれない。が、現世で足元が揺らぎ始め、徐々に勝手知ったる周囲の世界が遠ざかりつつあると感じつつある者にとって、この一文は溺れる者の縄だ。そうした人の心の軸足は自己の運命にあらゆる抵抗を試みた後、いやいやながらであるが来世に目を向け始める。そして関心の対象が「来世はあるのか?」「自己の存在は何らの形で存続するのか?」といった問いに移っていく。
そうした問いに上記の一文は明快に答えている。「この世は来世への一過性に過ぎないと。人間は、「今度あれやろう、これやろう。」と将来に心を向けて生きている。そうした行動の時間がもう与えられていないと感じたら、こんな残酷なことがあろうか?来世の存在を信じること。それは将来の活動の場の可能性を与えられることだ。例えそれが来世であったとしても。そのかすかな希望の明かりで人は絶望に陥らずに生きていけるのだ。
ここに科学がいくら進歩した現代でも宗教を必要とする土壌があるのだと思う。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・」と全ての計らいを捨てて、万人の救済するという阿弥陀仏の本願を信じ無心に連呼する。何千回、何万回。そのうち名号を唱えているという意識すら無くなり、あんなに悶え苦しんでいた私という存在すら消えていく。その空になった心の状態こそ極楽浄土だと説くのが仏教の一派浄土真宗の教えだ。これも死地に追い込まれた者を救済するあり方の一つだ。そして上記の二つの救済の方法に共通しているのは、現世は一過性に過ぎなく、来世こそ真の世界であるという天上思想だ。おそらくそうした考えに反理性、非合理と反発する人も多々いるであろう。しかしそうした人々に次のように僕は反論する。

この世は全て嘘

「あなたは死地に追い込まれ、どこにも心預けることもできず、一瞬一瞬情けない気持ちで時を過ごした経験があるのか?」と。「人は非力だ。一瞬前まで自信満々に振舞っていた者の癌と宣告された時の慌てふためきようを君は知っているだろう。」とも。人は苦痛を伴う真実よりも心安らかにしてくれる嘘を好む。そもそもこの世は虚偽、虚飾、偽善、偽得で成り立っているといっても過言ではない。「原発反対。」と叫びながら電気消費量の多い消費文化の生活を続けるデモ参加者。「被害者の人々に元気をあげたい。」とインタビューに応じる善行をしている自分に酔いたい人気アイドルグループ。「「これで事故にあった息子に顔向けができます。」と涙ながら裁判で
勝ち取った多額の賠償金を平然と受け取る遺族。彼らは自己矛盾という認識すらなく、後ろめたささえ感じていない様子だ。自分に不都合な良心の声は退け、民のエゴイズムを人権という名で
虚飾する世論が彼らの背中を後押しする。
人の考えなんてどうにでもなりうるのだ。多くの者が人殺しを聖戦と言えばそれに人は拍手喝采するのだ。その究極な形が宗教だ。キリストは言う「私を信じなさい」と。絶対的確信を持った声で。その絶対的確信に人々は引き寄せられる。この救われたいという人々の願望は理性の次元を超え、大自然の迷い子の帰郷への本能ともいえる。「私は信じる、何故なら信じたいから」。この単純さの中にこそ救済の本質がある。この偉大なる単純さ。それを失ったところに僕たちの不幸がある。見よ!知の毒果を食った人間の死に至る病を。「この単純さに全て身を委ねよ!」と、
ある声が僕の耳元に囁く。その声は僕が気弱になっているとき一層強まる。が、知の毒果が無数の懐疑を生み出し、僕が単純になることを妨げる。この二つの相克の間でどっちにも就けない優柔不断の僕がいる。そんな時だ。今まで聞いたメロデイーとは性質を異にするメロデイーが僕の耳に流れ込んできたのは。それは葦笛の音色であった。その音色は西洋の洗練された音色とは
大きく異なり純朴な大地の香りを含んでいたように聞こえた。そこに何かがある。その音色の心源を辿っていこう。そこに知と単純さの狭間で息詰まった僕を解放してくれる何かが見つかるかもしれない。そして辿り辿って最後に行きついた先にガンジス川があった。又、その心源はインドが生み出した詩聖タゴールの詩からであることが分かった。

ガンジス川から流れてきた葦笛の音色

自己の死を身近に感じている者にとって、無制限なる時間が与えられているという錯覚の上に生きている楽天主義者達の慰めの言葉は空しく響く。そんな時存在の根源まで達したタゴールの言葉は僕たちの心の中に真直ぐ届く。彼の言葉は「人生とはいいものだ」の肯定を前提とした意図的論理の策動がない。彼はただ自分が信じられる真理に根差した絶対的心の拠り所を求
めた。彼の天賦の詩人の感性と強靭な精神力を武器で。彼のそうした狂おしく本当のものを求める姿勢は常識の世界に安住している人々が構築した人間の虚構の世界を打ち砕き、それが幻想であったことを突き付けた。そこにその幻想の上にはもう生きることが出来なくなり、新たな心の拠り所を求めてのた打ち回る僕たちの呻吟の声と共鳴する。彼は見た。踏み鳴らされた規範主義の中毒症状に侵され、その枠内だけしか生きていけない生命のみずみずしさを失った人々を。又、彼らの中にある思い上がり、欲深い無慈悲な貪欲さ、無力な者の卑怯さ、虐げられた者の恨みといった人間の心のうちに宿る煩悩のありのままの姿を。そして彼は暗黒の宇宙を頭上に、ヒマラヤを前にして深く瞑想し悟った。純白なる無垢なる謙虚な心。これが唯一の真理に到達する道であることを。彼は言う、「私たちが謙遜において偉大である時最も偉大というのに近い」と。「老いること、死ぬこと。この変化は全て真理だ。その変化の中に僕たちの足場がある。この変化に沿って生きること。それが最も自然な生き方であり、真の幸福へと通じる道がある。」とも。
しかし、タゴールがぽっかり空いた深淵の淵に立っている僕たちに希望を与えてくれるのはここからだ。彼は言う、「我々の浅はかな五感を一歩超えたところに常緑の泉がある。流転の中に永遠の変わらぬ生命の根源がある」と。彼は詩人の完成を通して真理を示した。我々の一瞬一瞬の行為が永遠に通じていることを。

無心こそが・・・・そしてあの診察室へ

タゴールは我々に示した。 この無常の世界に起こる森羅万象の奥に宿る不変なる実在を。タゴールの詩の一字一句を噛み締めること、その世界に浸ること。それは大海に放り出された漂流者がしがみ付くものに出会ったという安ど感にしばし包まれるに等しいこと。しかし、しかし・・・
これで本当に土壇場でも心乱れることなく自己の運命を受け入れられるのか?となると、絶対的確信は持てないというのが実際のところだ。それでは一体他に何が必要なのか?と僕は考える。体験!タゴールが言葉で言い表す前の心のうちに起こった体験、それが必要なのだ。ではいかにして?そして僕はタゴールの”五感を超えた常緑の泉・・・”の詩のくだりに注目する。このくだりは正しく禅の目指す最終境地「無心の境地」を別な言葉で言い表しているのに過ぎないのではないのか?ではそうだとしたら、その無心の境地への道は?僕たちは知っている。その境地に至るために過去の先人たちが人生の全てを犠牲にしてやっと辿り着いたことを。僕は狭い教義の解釈を取り除けば 全ての宗教の教祖、真の聖人・求道者が達した境地はこの無心にあったと解する。違いは祈り、瞑想、名号の連呼、座禅等のそこへの辿り着くまでの形態だけだ。彼らは己を捨てきった。そのとき彼らの心は純白になり、万物が自己という夾雑物がなくなり、ありのままの状態で心の鏡に映った。自己と万物が同化した瞬間だ。己がなくなる。ということは変幻自在の万物の変化と常時共にし、共にしているから、生という固定した状態もなければ、死という固定した状態もない。この無心の状態を次の一文が明確に表わしている。

「心こそは悟りの木。身体は鏡の台である。鏡は初めから空っぽだ。塵、埃が付きようもない。」

これが存在の実相だ。と、分かっていても僕たち凡夫はここまで極端に求道することは難しい。しかし彼らが残した足跡は、暗中模索だった僕達に死の恐怖の解放への道標のみならず、常に心の奥底で無常の変化に怯える虚構の世界から真の世界に生きる道を指示してくれる。そして人生の究極の目標をも。無心。理を超えたこの境地に僕達は希望を託せるのではないかと思う。

そして今日、癌の判定が下される日だ。
午前9:30am.待合室の中。「…さん、診察室にお入りください。」とのアナウンス。「とうとう来る時が来たか!」と心の中で呟けながら、あの医師の待つ診察室に入って行った。

2014年7月8日火曜日

アホのイタリア巡礼紀行 (キリスト教から禅への帰還)

                                                                                                    * zoom upしてお読みください Read after zoom up
                                           
わしはアホや 

イタリアへ出発の成田空港。Gチケットを使おうとするがやり方が分からん。係員に頼むといとも簡単に即座に解決。わしはアホや。飛行機内。座席前のちっちゃな画面で映画を見ようとするが使い方分からず、”Excuse me?"。わしはアホや。イタリアで出発前のユーロー・スター特急電車。「おしっこ洩れちゃう」と電車内トイレを必死の形相で開けようとするが、ガンとして動かず。電車が発車すると同時にスーとドアが。「アホ、アホ、アホ」わしは正真正銘の時代遅れのオヤジ。これを認めてしまうと「なんだこの心の軽くなった世界は!まるで髪ボサボサ、楊枝咥えて高級レストランで飯を食っている感じではないか!」 少しでも人によく見せよう。よく思われたい。そんなちっぽけな虚栄心を満たすために、なんと多くの労と時間を割いてきたことだろう。他人の目を意識して行動すること。それは演技だ。演技は自分でない人の役を演じることだ。と、分かっているが平凡な自分を認めたくない内なる抵抗が「何々かぶれ」を演じようと欲する。しかし生存を脅かす程の逆境に陥った時、凍てつく孤独の中で役者は舞台衣装を脱ぎ、そして呟く。「自分はおにぎりが欲しかったのだと。」自己のありのままの状態にいるとき全てが落ち着き静かに見える。自己のありのままの状態は人により異なる。自己のありのままは僕の場合どういう状態なのか?その探索は人の純粋個、つまり心の本源」を探す旅である。それがイタリアにあるのか?日本にあるのか?それを探し求めるのが今回のイタリア旅行の究極の目的だ。


そこが羨ましいイタリア社会

イタリアのメルカート(直売市場)は、赤・黄・緑の色とりどりの極彩色の野菜・果物そして多種多様なチーズ、サラミで埋め尽くされ客と売り手[生産者]の声が勢いよく飛び交う。そうした社会の「動」のダイナズムの象徴のような場所の真裏に、イタリアではよくあることだが社会の「静」の象徴の教会がある。この社会の「動」と「静」のコントラストがイタリア社会を象徴する。イタリア人は人生をエンジョイする天才だ。よく食べ、飲み、話し、セックスをする。彼らの大げさな身振りを交えた会話は軽快なテンポで屈託なく、深刻な話題もどこか笑えるものがある。世界の恋人イタリア人の性に対する貪欲さは、隙あらばで親族の集いで義理の兄と妹が何々という話は日常茶飯事で、カソリックの抑制力も限界があるようだ。そうした現世的人生を最大限に謳歌する反面、心の問題があると真裏の教会に駆け込む。そこで全知全能の神に救済を乞う。すると心は癒されるという。そうした社会構造が今でもかなり生きているようだ。現にイタリア滞在中いくつかの教会内で、絶望に打ちひしがれた表情をした何人かの人々を見かけた。あの教会特有の静寂に身を沈め、両手を固く重ねあい、一心に祈っていた彼らの姿が今でも印象に残る。
人生には悩みがつきものだ。生きた宗教が社会構造の基盤となっていない日本では、悩みがあるとほとんどの場合人間に頼る。家族、友人、カウンセラー等。しかし人知を超えた老い、死の様な問題に有限なる人間がどれくらい根本的解決の手を差し伸べることができるというのであろうか?人の頼りなげな微弱な言葉より、ただ全てを受け入れ、片時も離れずに寄り添ってくれる聖母の慈悲の暖かな眼差しの方が、死の恐怖を拭い去ってくれるのに有効といえないだろうか?そうした救済を可能ならしめる前提に信仰を育む精神文化の土壌があることは言うまでもない。もしかしたらそんな精神文化の土壌にイタリア人の底抜けの明るさは支えられているのかもしれない。つまり中世より変わらぬ町並み同様、来世まで支えてくれる不変なる絶対的安心感が。そこに僕が羨むイタリア社会がある。

聖母の救いの手を受け入れられない僕の理由

僕は神のような絶対的存在を信じたい気持ちは人一倍強い。その気持ちは加齢と共に強まってきている。最近では映画、書物など全てが宗教関連のものばかりだ。そして今回のイタリア滞在中数多くの教会を巡り、また教会の中に入って長い間心の敬虔な気持ちで瞑想を続けた。心の平安を求めて。しかし心の平安は訪れることはなかった。むしろ率直に言うと、そこには自己のありのままでいることを阻む異質のものさえ心の中に感じたというのが本当のところだ。
結局、ぼくにとってキリスト教は理性を通して入ってきた観念的代物で、僕が青春時代自分の実際の友以上に身近に感じたヘッセ、ドストエフスキーの主人公とは異なり、幼少時キリスト教の関連行事等を通して日常生活におけるキリスト教信仰の皮膚感覚の欠如がキリスト教圏で育ったものなら当然潜在意識下に育まれ、眠っているはずの懐かしいといった郷愁に似た感情が起こらなかったということだろう。
結局イタリアには僕がありのままの状態で絶対的平安を感じさせてくれる場所はないのか?と悲観的気持ちを抱いていた時、その気持ちを否定してくれる場所に出会った。

マドンナ・ディ・サイアノ教会


その場所は、マドンナ・ディ・サイアノ教会という。その教会は中部イタリアのリミニ州に位置し、緑の絨毯の敷き詰められた小高い丘の頂に立ち、その頂から辺り一帯360度のグリーン・ワールドが一望できる。人々は草木の間を縫うように走っている細い小道をたどり、最後は石の階段を登り教会へと至る。その素朴な外観をした教会は、いかにも地元の精神的安らぎ場所といった風情で、若者の恋の悩みといった軽い悩みも気軽に持ち込める気楽な心地よさがある。そこに立ち,目を閉じ、耳を澄ますと聖フランチェスコを描いた「the brother a sun the sister a moon」の主題歌のメロディーが聞こえてきそうな気さえしてくる。そうした大自然の真ん中に身を置いていると、自己の卑小さ、世俗の問題のちっぽけなさを感じ解放感で心が一杯に満ちてくるのを感じる。その教会のドアを僕が押したのはそうした心の状態の時であった。教会内には5月の柔らかな光が充満し、薄暗い光の中で虚ろな目を天に向け、青白い指を重ねて一心に祈る聖人たちの大自然の大動脈の鼓動を押し殺したような陰鬱なイメージに象徴される僕がそれまで訪れた他の教会とは全く異なった明るい雰囲気が漂っていた。僕はそうした空間にに包まれ、椅子に腰かけ静かに瞑想に耽った。その間5月の穏やかな光が室内に注ぎ込み続けていた。僕の心はどこにいるのかも忘れ、いつしか知らず自己と自己を取り巻くすべての外物との対立関係を超えた、全てが溶解し合った光まばゆい唯心論の世界へとさ迷い歩き始めた。


聖母マリアとのミクロの心の距離 

唯心論の世界とは、理性を手放し無限なる絶対世界に自己の全てを投げ捨てた時心の内に起こる人知を超えた絶対真理に満ち満ちた光眩い神・仏の世界。そこでは無限なる暗黒の大宇宙で、何処にいるのかも知れず一人彷徨う人間の絶対孤独は癒え、無常の風も萎え、老いも死もない、永遠の一瞬一瞬の時の流れに深々と身を任せる事ができると記された天上の楽園、極楽の世界だ。そんな世界にどれ程の間、浸った気分になっていただろうか?しばらくして心地よい眠りから覚めるようかに目を開けた。すると目の前の聖母マリア像が目に入ってきた。その気品あふれる指先、神々しく穏やかな表情、いかなる罪人をも暖かく包んでくれそうな大きな愛に満ちた腕と胸。長い間どれほど人々の心を救ってきたのであろうか?しかし。しかし。眼前の像にミクロの距離を感じる僕の心があった。僕はこの教会をとても気に入った。教会の中で感じた静かな心地よさは久しく経験していなかった感覚だ。今、死地に追い詰められた時最後まで心に寄り添い、愛の微笑みを送り続けてくれる絶対的心の支えを求める気持ちは増々強まるものがある。観念的宗教論議を重ねる気持ちの余裕はもうない。「しかしなんだろう?僕の心にある聖母マリアの愛に飛び込むことを阻む薄い皮膜のようなものは?」この問いに答えること。それは今回の旅の目的、「ありのままの自分とは何か?」を見出すことに直結しているかもしれない?と、僕の心は直感した。そしてその問いの解答は意外なところにあった。

パソコンと哲学

イタリア滞在を通して僕は姉夫婦のところに滞在した。僕がマドンナ・ディ・サイアノ教会から帰った時、甥はパソコンを使っていた。僕の顔を見ると、彼は顔を上げ、パソコンのスイッチを切った。すると今まで画面に存在していた全てのものが一瞬にして消えた。その時だ。何かが僕の心の中でクリックしたのは。「ものは存在しない。それは一時の現象に過ぎない。」という考えが、まず浮かんだ。そしてその考えは、次の哲学的思念へと続いた。

万物の存在はこの画面に映った文字、絵、写真等と同じだ。パソコンの機能は我々の知覚作用だ。誰かがスイッチを入れ、あるボタンを押す。するとプロバイダーにプールされていた情報が一瞬のうちにして、我々が知覚作用を通し物を認識するように画面に映し出される。再びスイッチを切ると全ては消える。我々が目をつぶると物が消え失せるよに。
結局、物の生起は対象物とそれを映し出すスクリーンの両者によって成り立っている。片方でも欠けると物は生起しない。道元禅師が言ったことはこういう事かもしれない。「空は鳥によって生まれ、海は魚によって生まれる。鳥、魚、がいなかったら空も海も存在しない。」つまりこの世の万物は、スイッチを入れる前のパソコンの画面がなにも存在しなかった様に実体はないものなのだ。


僕が達した「ありのまま」を生きるとは

僕は以前一時しげしげと禅堂に通い、多くの禅関係の書物を読み耽った時期があった。よってそうした考えには比較的精通していた。が、今その考えが特別の意味を持って生きた言葉として僕の心の中に浸みこんでいくように感じた。
結局このことだったのだ。聖母マリアの愛を素直に受け入れることができなかったのは。つまりキリスト教はすべて言葉を通して「信じれば救われる。」に依存している。そこには天地創造の記述に象徴されるように、どこか僕の心に「本当?」という不信があったのだ。宗教は理でなく情に依拠していることは分かる。しかしどうしても僕が非キリスト教圏で生まれ育った故か?その不信を拭い去り、聖フランチェスコのように、祈りによって宗教的高みに達するには無理があるような気がする。
結局、僕の理性がギリギリのところで受け入れられる納得できる人生の在り方とはパソコンの画面に何も映っていない状態、万物の生起がなされていない本源の状態、つまり自己のありのままの更地の状態を生きるということなのであろう。その延長線上に僕は世界の不合理、不条理が雲一つない僕のありのままの心のスクリーンと外物が溶け合って作り出された光の洪水。その洪水によって洗い流された生死を超えた「空」の世界があると僕は信じる。
そしてその世界は今僕がこのブログを書くことに成り切っている無心なる「今、ここ」にあるということなのであろう。

・・・・・・・・・・という様なことを考えたイタリア巡礼旅行であった。もちろん帰路、Gチケットの手続きは係員に依存し、飛行機内での映画鑑賞の操作方法は親切なスチュワデスの好意に甘え、おまけにチェックイン・カウンターでお土産のブランデーを機内持ち込み品として堂々申請し、寸前のところで没収されるというお粗末なことをしでかす旅の幕切れだあった。
わしはホンマにアホや。

2014年6月22日日曜日

イタリアの修道院に禅の心を求めて


クス呆けたみすぼらしい一老人

襤褸布を身にまとい薄くなった伸び放題の白髪を風にさらし、前傾姿勢に肩を丸め、ブツブツ 意味不明な言葉を呟き続けるみすぼらしき一老人。目はどこかを見るでもなく、見ないでもなくただ枯れ葉舞う初冬の寒風に身を任せ、周辺で何が起ころうとも薄笑いを浮かべ、全く気にもとてない面持ち。その存在は周辺の風景の中にスッポリと溶け
込み、自己と外界の境界線が消え去りそれぞれがお互いに同化しさえしているようにさえ見える。これは僕が人生の究極の目標と仰ぎ見る子だ中国の仙人(老子)の達した
精神的境地の象徴的イメージです。そこに何かがある。じょ饒舌な今日の識者の論理、理解が達しえない何か

が。又、欲望と肥大と「そうあって欲しい」の願望が転化して絶対安全神話が作り出したこの閉鎖社会の下で病んだ心をそっと大自然の霊気で慰撫し、安らかな心へと導いてくれる何かが。と、僕は4月下旬から3週間程北イタリアのアルプスの
裾野の鄙びた田舎町にその何かを求めて心の旅へと出かけます。ルネッサンス期に建造され、いまではかび臭くさえなった小さな村の中央に位置する教会。その門から昔と変わらず礼拝を終え、敬虔な面持ち出で外へと出てくるアルプスの風土の下に生きてきた深い皺の刻まれた顔、顔、顔。その顔をそっと撫でて通り過ぎていくアルプスの山々から吹き降ろしてくる
初夏の微風。そしてその周辺一帯を降り注ぐ澄んだ陽光。「そこにいまの僕に必要な何かが
きっとあるはずだ!それにしても何故イタリア?

恥辱を求めて

ガンジーは「物事はアリの地点から見ろ」と言った。僕もその生きる姿勢にのみ「真理に根ざした生き方がある」と、謙虚に謙虚に生きてきたつもりであったが、いつしか知識の増大に伴う物を分かったような物言い、それに対する人々の賞賛により自我の肥大が起こり、他者が期待する人物像を演じ始めたのみならず、自分でも他者に映った自分のイメージが自分自身だと錯覚し始めたと最近強く感じるようになった。取るに足らない自己の核の周辺に付着しはじめたべとべとした自我のカス。そのベトベト感の感触がたまらず、又本来無一物の原点から離れていく自分に辟易し、又耐えがたき寂寥感さえ感じるようになった。
人生は生き物だ。その生き物が固定化するとみずみずしさが失われ、屍化した自分を引きずって過去の哀惜の中で淋しく生きねばならない。今まで蓄積した物を全て放り出さねば!これが今後生き生きと生きる唯一の処方箋だ。と、いう危機感から僕は今回のイタリア滞在で「今迄隠し通してきた劣等感などを全てさらけ出し、恥辱を味わいつくし自己内に巣食っている自我意識できる限り葬り去ることができれば」と思っている。
その延長線上に古今東西の聖人たちが達した時空を超えた大安心の境地をかいま見る事ができれば…と思っているわけです。
僕は各々の宗教間において、どんなにその土壌、根底が異なり対立していたとしても目指す目標は共通だと思う。その目標とは存在が根源的な統一へと回帰することであり、その回帰した状態を神の恩寵、仏、道(前述した老子の達した境地)と呼んでいるのだと思う。よって、僕はもしかしたらイタリアの片田舎の人々のキリスト教に根ざした素朴な生活の中に今僕に必要な何かが見出せるのでは…とイタリア行を決めたわけです。

修道院に禅の心を求めて

砂漠の夜は厳かで神秘に満ち満ちた空気がある。そんな環境下に神を求めて、キリスト教初期3世紀頃熱い宗教心に燃えた敬虔なキリスト教徒たちは移り住み、禁欲、祈り、瞑想の生活を送ったという。星降る夜空の下で絶対静寂に包まれて、無窮なる空間に目を放った先に彼等は一体何を見出したのだろうか?神との融合という唯一の目的の為に全てを投げ打った彼らの捨て身の求道。それは又、世俗を捨てて深山幽谷に悟りを求めた禅僧達にも通じるものがある。一方は神を、他方は悟りをと、言葉は違っても彼らが理(己)を手放した瞬間からの心の奥底に流れ込んだ一点の曇りのない絶対真理の光、その時経験した名状しがたき法悦感、「自分は永遠と繫がっている!」という意識にならない意識は同じだったと思う。そんな彼らが達した内的経験を中世の修道院の静寂の中に幾分なりとも肌に感じる言葉できればと、4月下旬イタリアに旅立ちます。帰国後、非キリスト教圏に育った普通の日本人がキリスト教が誰も話す人もなく胸締め付けられるような耐えがたき孤独感に涙すらでない心の涙を流している人、全ての希望を絶たれ自分の生をもてあまし唯、時が来るのを待っている人達に、本当に心の救いになるのか?といった観点から禅を通して僕が感じた修道院の内的経験を報告したいと思います。