2012年8月14日火曜日

聖フランチェスコが示した 淋しさよ さようならの道

瞳の奥

人間の瞳の奥底をまじまじと覗き込む。すると、そこに必ずと言っていいほど闇夜の大海をどこへ
漂着するのか分からない難破船に乗っている人間の様な不安,恐れ、怯えの表情を見出す。自信満々な表情を浮かべた世俗の成功者でさえ、その彼らの自信を支えている頼りない薄ペらな根拠性を取り去るとついさっきまでの自信が嘘のように、同じような表情を浮かべる。その不安、恐れ、
怯えはこの大地に意味もなく投げ出され何処へ行くことすらわからず途方に暮れている迷える子羊
と共有するものだ。それはどこか物悲しく、郷愁を誘う。動物の目の表情に愛おしさを感じるのは、
その中に幾重にも重なりあった自我の層を脱ぎ去った後の大自然の落し子としての裸の自分を
見出すからだ。

聖フランチェスコ

今、ここにいかなる生き物も例外なく共有する、生きるが故の生物の定め、永遠の憂いを克服した真の人生の勝利者がいる。12世紀イタリア中部アッシジで生まれ育った聖フランチェスコだ。彼は
歩いた。確固たる足取りで。彼は笑った。清らかに心の底から。彼は歌った。自然の声を。飾り気ない子供の心で。彼は祈った。真心を込め絶対的信仰を胸に。その彼の絶対性に触れた揺るぎなき
心が全ての苦悩を麗しき愛の花に変え、人を引き付ける。彼に近ずくこと。それは救われること。
みんな知っている。彼は私心なく自分のすべてを与えることによって真の魂の喜びを感じたことを。
又彼は自分を無化することにより永遠の憂いから解放され、大自然の懐(神の世界)に包まれたことを。彼は到達した。揺るぎない絶対的心の平安を。小さな臆病な高慢な自我を捨て去ることによって。

アッシジへの巡礼

そんなフランチェスコに引き寄せられ2012年8月17日彼の魂を育んだアッシジに巡礼の旅に赴きます。トスカーナの夏の陽光を一杯浴び、アドリア海から吹き抜ける微風に軽やかに揺れる草原、南欧特有の突き抜けるライトブルーの空。そんな風土の下で時空を超えたフランチェスコの声
を聞くことができるならと思っております。次回のブログではフランチェスコの幸福についてアッシジ
の心の体験を踏まえ皆さんと一緒に考えていきたいと思ております。