2014年6月22日日曜日

イタリアの修道院に禅の心を求めて


クス呆けたみすぼらしい一老人

襤褸布を身にまとい薄くなった伸び放題の白髪を風にさらし、前傾姿勢に肩を丸め、ブツブツ 意味不明な言葉を呟き続けるみすぼらしき一老人。目はどこかを見るでもなく、見ないでもなくただ枯れ葉舞う初冬の寒風に身を任せ、周辺で何が起ころうとも薄笑いを浮かべ、全く気にもとてない面持ち。その存在は周辺の風景の中にスッポリと溶け
込み、自己と外界の境界線が消え去りそれぞれがお互いに同化しさえしているようにさえ見える。これは僕が人生の究極の目標と仰ぎ見る子だ中国の仙人(老子)の達した
精神的境地の象徴的イメージです。そこに何かがある。じょ饒舌な今日の識者の論理、理解が達しえない何か

が。又、欲望と肥大と「そうあって欲しい」の願望が転化して絶対安全神話が作り出したこの閉鎖社会の下で病んだ心をそっと大自然の霊気で慰撫し、安らかな心へと導いてくれる何かが。と、僕は4月下旬から3週間程北イタリアのアルプスの
裾野の鄙びた田舎町にその何かを求めて心の旅へと出かけます。ルネッサンス期に建造され、いまではかび臭くさえなった小さな村の中央に位置する教会。その門から昔と変わらず礼拝を終え、敬虔な面持ち出で外へと出てくるアルプスの風土の下に生きてきた深い皺の刻まれた顔、顔、顔。その顔をそっと撫でて通り過ぎていくアルプスの山々から吹き降ろしてくる
初夏の微風。そしてその周辺一帯を降り注ぐ澄んだ陽光。「そこにいまの僕に必要な何かが
きっとあるはずだ!それにしても何故イタリア?

恥辱を求めて

ガンジーは「物事はアリの地点から見ろ」と言った。僕もその生きる姿勢にのみ「真理に根ざした生き方がある」と、謙虚に謙虚に生きてきたつもりであったが、いつしか知識の増大に伴う物を分かったような物言い、それに対する人々の賞賛により自我の肥大が起こり、他者が期待する人物像を演じ始めたのみならず、自分でも他者に映った自分のイメージが自分自身だと錯覚し始めたと最近強く感じるようになった。取るに足らない自己の核の周辺に付着しはじめたべとべとした自我のカス。そのベトベト感の感触がたまらず、又本来無一物の原点から離れていく自分に辟易し、又耐えがたき寂寥感さえ感じるようになった。
人生は生き物だ。その生き物が固定化するとみずみずしさが失われ、屍化した自分を引きずって過去の哀惜の中で淋しく生きねばならない。今まで蓄積した物を全て放り出さねば!これが今後生き生きと生きる唯一の処方箋だ。と、いう危機感から僕は今回のイタリア滞在で「今迄隠し通してきた劣等感などを全てさらけ出し、恥辱を味わいつくし自己内に巣食っている自我意識できる限り葬り去ることができれば」と思っている。
その延長線上に古今東西の聖人たちが達した時空を超えた大安心の境地をかいま見る事ができれば…と思っているわけです。
僕は各々の宗教間において、どんなにその土壌、根底が異なり対立していたとしても目指す目標は共通だと思う。その目標とは存在が根源的な統一へと回帰することであり、その回帰した状態を神の恩寵、仏、道(前述した老子の達した境地)と呼んでいるのだと思う。よって、僕はもしかしたらイタリアの片田舎の人々のキリスト教に根ざした素朴な生活の中に今僕に必要な何かが見出せるのでは…とイタリア行を決めたわけです。

修道院に禅の心を求めて

砂漠の夜は厳かで神秘に満ち満ちた空気がある。そんな環境下に神を求めて、キリスト教初期3世紀頃熱い宗教心に燃えた敬虔なキリスト教徒たちは移り住み、禁欲、祈り、瞑想の生活を送ったという。星降る夜空の下で絶対静寂に包まれて、無窮なる空間に目を放った先に彼等は一体何を見出したのだろうか?神との融合という唯一の目的の為に全てを投げ打った彼らの捨て身の求道。それは又、世俗を捨てて深山幽谷に悟りを求めた禅僧達にも通じるものがある。一方は神を、他方は悟りをと、言葉は違っても彼らが理(己)を手放した瞬間からの心の奥底に流れ込んだ一点の曇りのない絶対真理の光、その時経験した名状しがたき法悦感、「自分は永遠と繫がっている!」という意識にならない意識は同じだったと思う。そんな彼らが達した内的経験を中世の修道院の静寂の中に幾分なりとも肌に感じる言葉できればと、4月下旬イタリアに旅立ちます。帰国後、非キリスト教圏に育った普通の日本人がキリスト教が誰も話す人もなく胸締め付けられるような耐えがたき孤独感に涙すらでない心の涙を流している人、全ての希望を絶たれ自分の生をもてあまし唯、時が来るのを待っている人達に、本当に心の救いになるのか?といった観点から禅を通して僕が感じた修道院の内的経験を報告したいと思います。