2012年9月23日日曜日

自死とフランチェスコが示した絶対的幸福

生きるべきか死すべきか

耐えがたき絶望から命を絶つ者がいる。又その絶望を耐え、その経験を肥やしとして意義ある人生を送る者もいる。両者を隔てる物はほんの僅かだ。運命的人との出会い、個人的資質、精神的支えの有無がその相違を生む。人生を真剣に考えた者なら一度は自死の誘惑に駆られる経験があっても不思議ではない。そこまで行き壁にぶち当たらないと本当のものは見えてこないし、乾き切った喉に水が浸みていくような人生の真の喜びも悲しみも分らない。

小鳥に話しかける聖人

人生のブラックホールを通過した者達が、決まって感謝の気持ちで人生の同胞者の大先達として仰ぎ見る、あるタイプの人物像がある。自分たちが絶望のどん底で喘いでいた時、自分達が味わっている絶望の数倍もの血みどろの過酷の経験をした末の穏やかではあるが全てを受け入れた確固たる表情で勇気を与え、絶望状態から救出してくれた人々だ。そうした人々は何故か特有の共通の特徴を持っている。幼児の様に純粋無垢で飾りがなく構えた所もなく、一見単純そうで静けさと内面的強さを内包している。ある時小鳥と話しかける聖人の絵を見た。その聖人は12世紀に生きた聖フランチェスコという人であった。その後偶然にその聖人を描いた"Brother Sun and Sister Moon"という映画を見た。直感的に感じた。この人は本物であると。

変わらぬイタリアの精神風土

そしてこの聖人を育んだ精神風土はいかなるものであるのか?という問いが心の中に起こった。その問いに促され訪れたイタリアのウンブリア地方という所はあちらこちら500年前に起こったルネッサンス期と変わらず一日幾度となくあちらこちらで教会の鐘が鳴り響き、多少の近代化の影響は受けているものの当時と同じ文化的土壌の上に、当時と同じ建物の下で陽気に生活を楽しむ人々がいた。

聖地アッシジ

聖地アッシジはさすがに聖地を思わせる多数の巡礼者、大通りを行き来する聖職者の姿、数多くの教会があった。それにしても何がそんなに数多くの巡礼者たちを世界中から引き寄せるのであろうか?みんな心の中に何らかの痛みを抱えその痛みを癒されようとやって来たことは間違いない。

神の声

言い伝えによると、フランチェスコは何一つ不自由ない環境で生まれ育ち若かれし頃は放蕩生活に明け暮れた日々を送ったという。その後勇敢な戦士に憧れ戦地に赴いたが、瀕死の重傷を負い帰国したという。彼は戦場にて夥しい人の血の海を見た。そして帰国後しばし熱に浮かされ生死を彷徨った。熱に浮かされているとき彼の脳に去来したものはいかなるものであっただろうか?いわば彼は人生の甘味と苦みの両極を尋常の者が推し量ることができない程経験した。そんな人間が生に留まるとしたならいかなる道が可能であっただろうか?今回訪れたウンブリア地方の田園は果てしなく広がり、遠方に見える教会は靄に包まれていた。その遠方から鳴り響く教会の鐘の音を日々聞きながらウンブリアの草原を走り回ってフランチェスコは育ったのだろう。又街の中央に位置する彼が洗礼を受けたというサン・ルフイーノ大聖堂で時として敬虔に神父の話に耳を傾けたこともあったでろう。そうした風土、精神文化土壌の影響が無意識のうちに次第次第に彼の心の奥底に沈殿していった。生死の崖っぷち。そんな絶対絶命の状況でそうした眠っていた沈殿物が生の方へと押し上げるエネルギーとして働き、神の声として現れた。その声が彼を生に留めた。そんな解釈が生まれたのは早朝、鳥たちが清澄なる空気を震わせる空の下に広がるウンブリア地方の田園風景を眼下に、フランチェスコが神の声を聴いたといわれるサン・ダミアーナ修道院へと続く道を辿っていき、着いた修道院の前で奥のほうから流れてくる抑制されたこの世のものとは思えぬ信徒たちのミサの声を聴いた時であった。フランチェスコは絶望を克服し、確固たる足取りでその一歩を踏み出した。そのときの彼が経験した熱い思い、絶対的確信が人々をアッシジへと引き寄せる。

永遠の幸福

彼は44歳で死んだ。しかし彼の一生は誰よりも幸福だったといえる。彼には奪われ物がなかった。
命すら神の思召しとして喜んで差出したことだろう。彼の一瞬一瞬は永遠へと続く道であった。よって一般の人の最大の恐れ。無常、死の恐れからは無縁であった。徹底的自己否定から生まれた永遠の幸福。それは青春時代快楽の限りを味わい尽くし、戦場にては無数の悲惨極わりない人の死を見た彼だからこそ辿りついた幸福といえるのかもしれない。

巡礼を終えて

今日、老若問わず多くの人々が自ら命を絶つ。そのほとんどのケースは今迄心の拠り所としていたものを失った故のものだ。世は無常だ。その無常なものに全面的に心を預けることは余りに無防備とは言えないか?生死の崖っぷちで追い詰められたとき人は自分以外のことを考える余裕はない。そんな時全てを受け入れてくれる絶対的心の拠り所こそ生の方向へと力を与えてくれる唯一の源泉ではあるまいか?フランチェスコは全ての世俗の喜びを放棄することにより新たな人生の道を歩み始めた。彼が命を絶つことなく生に留まる選択をしたのはほんの紙一重のところだったといえる。人には様々な幸福感があってもよい。しかしフランチェスコが示した万物のすべてを等しく受け入れ友とする絶対時間の中に生きる生き方こそ何ものにも壊されることのない揺るぎない幸福といえるのではあるまいか?そんなことを感じ考えたアッシジへの巡礼の旅であった。