
お手紙有り難う。相変わらず行動派の君らしく東に安くておいしいレストランが開店したと聞けば仲間誘って一目散に駆けつけ、西にカラオケ無料日帰り温泉開店記念サービスの情報が入ると心躍りだし、南に・・・・・北に・・・・・といった「美味しかった。気持ち良かった」型生活に明け暮れている事。元気でなりよりな事です。しかし気になったことが一つあります。それはそれ程多くの楽しくあるべきことをしながら空しさ、しらけのような感情が行間に滲み出ていたことです。依然僕も今の君と同様な生活を送っていたことがあり、生まれて初めて本トロをたべた時の感激は今でも忘れもしません。
こんな生活楽しくない。
しかし今は全く生活形態を変え、質素で慎ましやかな生活を送っています。ことの始まりはある日友人たちと奢侈な欧風レストランでフランス料理を食べていた時のことです。心地よい空間、友人たちの快活な笑い声、全くいつもと変わらぬある午後のひと時。眼前にはコバルトブルー湘南の海を疾走する白い一艘のヨットが。その時です。急に心の内に見知らぬ空しい様な感情がどこからともなく湧いてきたのは。その感情は後に「僕はこの生活を楽しんでいない。」と強く自覚させました。それ以来です。僕の生活が一変したのは。
「こんなことしていられない」と24歳の女性

猫の糞の防波堤
僕もあまり偉そうなことを言えた義理ではなく、今から書くこともあの日以来の連夜の読書から知ったことですが我々の「隣の猫芝生に糞しやがって!」といった小さな出来事の集積からなる
日常生活を実は尾崎豊の問「自分の存在がなんなのか分らず震えている。」とか、がんの宣告によって今までで後生大事にしていた人生の舞台装置を根底から揺るがす「自分って何のために生きてるの?」という実存的問を直視することから救ってくれる防波堤のような役割を果たしていたということです。つまり生老病死の現実を誤魔化すことの手助けをしていてくれていたわけです。行動派の友よ!残念ながら君の心の中に人生の秋風が忍び込んできたように思います。東にレストラン開店すれば・・・といったのりに乗ったあの時の気持ちは再び戻ることはないと思います。
あっきぽの家の猫

お気に召さなかったキャットフードに向かって土をかけるような仕草さえします。飽きてしまうようです。我々も同様、始めどんなに刺激に満ち満ちたものでも時の推移とともに感激は薄れていく。だから新たな刺激物を求める。それも前のものよりより強い刺激物を。「その繰り返しが人生よ。」と言ってしまえばそうかもしれないけれど何か一抹の淋しさを覚えませんか?あんなに子供の頃から憧れた生活が手に入っても、その喜びはつかぬまどころか空しい感情さえ覚えるなんて。「方程式通りにはがいかないのが人生。だから人生は奥深い。」なんて最近悟ったようなことを言っていますがあの日以来一時「以前の生活にどこが問題があったのか?」真剣に考えましたよ。
遊びは真剣にやらないと
そして僕は二つの決定的間違いをしていたことに気ずきました。一つは真剣に遊んでいなかったことです。やはり恋でも趣味でも苦痛を伴なう程のめり込まないと人生で一番大切な熱い感激が得られない。特にその感激が上っ面だと心は徐々に地割れを起こし干からびていく。登山家が一銭にもならないのに命がけでエベレストのような山に挑戦する。登頂成功しても又次の山に挑戦する。ああ彼らの気持ちはこういう所にあったのかと初めて分った気がします。人生所詮遊び。その遊びをいかに真剣に行うが人生の達人の極意というものでしょうか?
フルーツ・パフェ食べ続けて幸せ?

自己の核心から湧き出てきたものでない故に行く行くは心から楽しめないという理由で何度もその選択肢を疑問視せざるえなくなるように思います。世間的価値観に惑わされず自己の核心から湧き出てきた純粋無垢なる欲求、その欲求の実現途上にいるという自覚ほど人間に充実感をもたらすものはないように思います。
一日12時間以上働いても幸せ

断捨離
そんな彼も今深刻な問題に直面しています。後継者の問題です。彼には一人息子がいますが

泡粒のような我々の存在・・・でもこれはいける
そこに辿り着くまで座禅を組んだり、山中深く分け入って思索にふけったり、教会まで行ったりして色々なことしましたよ。でも心定まらぬ空中に浮いた様な不安の日々続いた。自分にも持て余しましたね。こんな心の状態がいつまで続くのかねって。そのうち自分に嫌気がさしてもうどうでもよくなちゃったですよ。そして「あ~面倒くさい。いっそ自分をそっくり捨てちゃおうか」と思いましてね。「自分を捨てるか?」と心で呟いたらスート心が楽になったんですよ。そして「どっちみち泡粒のような我々の存在、そんなに大事にしてビビった生き方してもしょうがないじゃないか。」という考えが続きましてね。その時直感的に思いましたね。「これはいける。暫く自分を捨てた状態で生きてみようか?」てね。
心安らかな気持ち

茶の味

人生の皮肉
でも人生って面白いと思いませんか?始め安定した幸福なる生活を求めてその条件固めに奔走した。それがほぼ成就するとそれを推し進めた自我が空しさを覚えそんな生活は楽しくないと感じた。そして自我を捨て去ることによって心豊かな喜びを感じ始めた。これが人生の皮肉というものですかね?こんなところが今の僕の心境です。ここに書いたことが人生の秋風が吹き始めたと思われる君に幾分参考になれば幸せな次第です。次回の君からの便りが楽しみです。
0 件のコメント:
コメントを投稿