
晩年托鉢中一老人問う、「何故、山峰に住む?」良寛答える。「そなた何故巷に住む?」この問答に良寛の調べの本質
がある。何故名主橘屋の長男と言う恵まれた社会的地位、富
を捨ててまで孤貧な生活を強いる禅僧の道を歩み出したかの理由の答えも。
何故世俗を捨てたか?

繊細多感なる詩人としての感性、そして世俗的欲望の欠如から生まれる無常感の性向にあったと僕は見る。そうしたタイプの人間は関心の対象は物より心に向けられ世間では浮いてしまう存在のきらいがあり、極端なケースは生活落伍者と言う烙印を押されてしまうのが常である。故に、人一倍孤独の深さは大きく絶対的心の支柱への渇望は尋常ではなく、一時の心の平安を求めて悪の道へと足を踏み外す者もいる。「人は死ぬ。なのに人は何故あのように笑っていられるのだろうか?」との問いが、午前の全てを射抜いてしまう明徹なる陽光の様な乾いた心に付着している。堅牢なる心の地盤を見出し生を歩み出すか?それとも生の苦しみから逃げるために欲望の中に逃げ込み心荒んだ一生を送るか?そのような人たちにとって健全なる市民生活の道は絶たれている。生か死か?事は逼迫している。そして良寛の選んだ道は物質的追及より精神的平安を優先したわけである。つまり良寛は山峰での隠棲的生き方のみが生き残る選択だったという事である。
何故禅を?

良寛禅とは?
良寛は決して他の禅僧に見られる射抜くような鋭い眼光、そこにいるだけで威圧せしめる堂々とした風貌、人を食った挙動そして高笑いとは無縁の存在であった。枯葉舞う風に吹かれながら弱弱しい体を引きずりながら郷土越後の風光を歩き回る無為徒食の哀れな一僧侶。「山陰の岩間をつたう苔水の
棲家に我住みわたるかな。」の子供たちからあの変わった坊さんと称される存在であった。「雨の日はオロオロ歩きみんなにでくの坊と呼ばれ・・・」そうした全ての己を捨て去り切った存在であり続けること。それがもしかしたら禅の修行
そして聖胎長養の為の全国各地の行脚を恥と知りつつ乞食坊主の如く郷里に終の棲家を求めたのと同様に自分に課した試練であったかもしれない。もちろんそうした生活の中にも禅が中心にあった。そこに他の禅僧には一人として見られない
良寛禅があると僕は思う。人は人並み外れた天賦の才そして

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