2014年7月8日火曜日

アホのイタリア巡礼紀行 (キリスト教から禅への帰還)

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わしはアホや 

イタリアへ出発の成田空港。Gチケットを使おうとするがやり方が分からん。係員に頼むといとも簡単に即座に解決。わしはアホや。飛行機内。座席前のちっちゃな画面で映画を見ようとするが使い方分からず、”Excuse me?"。わしはアホや。イタリアで出発前のユーロー・スター特急電車。「おしっこ洩れちゃう」と電車内トイレを必死の形相で開けようとするが、ガンとして動かず。電車が発車すると同時にスーとドアが。「アホ、アホ、アホ」わしは正真正銘の時代遅れのオヤジ。これを認めてしまうと「なんだこの心の軽くなった世界は!まるで髪ボサボサ、楊枝咥えて高級レストランで飯を食っている感じではないか!」 少しでも人によく見せよう。よく思われたい。そんなちっぽけな虚栄心を満たすために、なんと多くの労と時間を割いてきたことだろう。他人の目を意識して行動すること。それは演技だ。演技は自分でない人の役を演じることだ。と、分かっているが平凡な自分を認めたくない内なる抵抗が「何々かぶれ」を演じようと欲する。しかし生存を脅かす程の逆境に陥った時、凍てつく孤独の中で役者は舞台衣装を脱ぎ、そして呟く。「自分はおにぎりが欲しかったのだと。」自己のありのままの状態にいるとき全てが落ち着き静かに見える。自己のありのままの状態は人により異なる。自己のありのままは僕の場合どういう状態なのか?その探索は人の純粋個、つまり心の本源」を探す旅である。それがイタリアにあるのか?日本にあるのか?それを探し求めるのが今回のイタリア旅行の究極の目的だ。


そこが羨ましいイタリア社会

イタリアのメルカート(直売市場)は、赤・黄・緑の色とりどりの極彩色の野菜・果物そして多種多様なチーズ、サラミで埋め尽くされ客と売り手[生産者]の声が勢いよく飛び交う。そうした社会の「動」のダイナズムの象徴のような場所の真裏に、イタリアではよくあることだが社会の「静」の象徴の教会がある。この社会の「動」と「静」のコントラストがイタリア社会を象徴する。イタリア人は人生をエンジョイする天才だ。よく食べ、飲み、話し、セックスをする。彼らの大げさな身振りを交えた会話は軽快なテンポで屈託なく、深刻な話題もどこか笑えるものがある。世界の恋人イタリア人の性に対する貪欲さは、隙あらばで親族の集いで義理の兄と妹が何々という話は日常茶飯事で、カソリックの抑制力も限界があるようだ。そうした現世的人生を最大限に謳歌する反面、心の問題があると真裏の教会に駆け込む。そこで全知全能の神に救済を乞う。すると心は癒されるという。そうした社会構造が今でもかなり生きているようだ。現にイタリア滞在中いくつかの教会内で、絶望に打ちひしがれた表情をした何人かの人々を見かけた。あの教会特有の静寂に身を沈め、両手を固く重ねあい、一心に祈っていた彼らの姿が今でも印象に残る。
人生には悩みがつきものだ。生きた宗教が社会構造の基盤となっていない日本では、悩みがあるとほとんどの場合人間に頼る。家族、友人、カウンセラー等。しかし人知を超えた老い、死の様な問題に有限なる人間がどれくらい根本的解決の手を差し伸べることができるというのであろうか?人の頼りなげな微弱な言葉より、ただ全てを受け入れ、片時も離れずに寄り添ってくれる聖母の慈悲の暖かな眼差しの方が、死の恐怖を拭い去ってくれるのに有効といえないだろうか?そうした救済を可能ならしめる前提に信仰を育む精神文化の土壌があることは言うまでもない。もしかしたらそんな精神文化の土壌にイタリア人の底抜けの明るさは支えられているのかもしれない。つまり中世より変わらぬ町並み同様、来世まで支えてくれる不変なる絶対的安心感が。そこに僕が羨むイタリア社会がある。

聖母の救いの手を受け入れられない僕の理由

僕は神のような絶対的存在を信じたい気持ちは人一倍強い。その気持ちは加齢と共に強まってきている。最近では映画、書物など全てが宗教関連のものばかりだ。そして今回のイタリア滞在中数多くの教会を巡り、また教会の中に入って長い間心の敬虔な気持ちで瞑想を続けた。心の平安を求めて。しかし心の平安は訪れることはなかった。むしろ率直に言うと、そこには自己のありのままでいることを阻む異質のものさえ心の中に感じたというのが本当のところだ。
結局、ぼくにとってキリスト教は理性を通して入ってきた観念的代物で、僕が青春時代自分の実際の友以上に身近に感じたヘッセ、ドストエフスキーの主人公とは異なり、幼少時キリスト教の関連行事等を通して日常生活におけるキリスト教信仰の皮膚感覚の欠如がキリスト教圏で育ったものなら当然潜在意識下に育まれ、眠っているはずの懐かしいといった郷愁に似た感情が起こらなかったということだろう。
結局イタリアには僕がありのままの状態で絶対的平安を感じさせてくれる場所はないのか?と悲観的気持ちを抱いていた時、その気持ちを否定してくれる場所に出会った。

マドンナ・ディ・サイアノ教会


その場所は、マドンナ・ディ・サイアノ教会という。その教会は中部イタリアのリミニ州に位置し、緑の絨毯の敷き詰められた小高い丘の頂に立ち、その頂から辺り一帯360度のグリーン・ワールドが一望できる。人々は草木の間を縫うように走っている細い小道をたどり、最後は石の階段を登り教会へと至る。その素朴な外観をした教会は、いかにも地元の精神的安らぎ場所といった風情で、若者の恋の悩みといった軽い悩みも気軽に持ち込める気楽な心地よさがある。そこに立ち,目を閉じ、耳を澄ますと聖フランチェスコを描いた「the brother a sun the sister a moon」の主題歌のメロディーが聞こえてきそうな気さえしてくる。そうした大自然の真ん中に身を置いていると、自己の卑小さ、世俗の問題のちっぽけなさを感じ解放感で心が一杯に満ちてくるのを感じる。その教会のドアを僕が押したのはそうした心の状態の時であった。教会内には5月の柔らかな光が充満し、薄暗い光の中で虚ろな目を天に向け、青白い指を重ねて一心に祈る聖人たちの大自然の大動脈の鼓動を押し殺したような陰鬱なイメージに象徴される僕がそれまで訪れた他の教会とは全く異なった明るい雰囲気が漂っていた。僕はそうした空間にに包まれ、椅子に腰かけ静かに瞑想に耽った。その間5月の穏やかな光が室内に注ぎ込み続けていた。僕の心はどこにいるのかも忘れ、いつしか知らず自己と自己を取り巻くすべての外物との対立関係を超えた、全てが溶解し合った光まばゆい唯心論の世界へとさ迷い歩き始めた。


聖母マリアとのミクロの心の距離 

唯心論の世界とは、理性を手放し無限なる絶対世界に自己の全てを投げ捨てた時心の内に起こる人知を超えた絶対真理に満ち満ちた光眩い神・仏の世界。そこでは無限なる暗黒の大宇宙で、何処にいるのかも知れず一人彷徨う人間の絶対孤独は癒え、無常の風も萎え、老いも死もない、永遠の一瞬一瞬の時の流れに深々と身を任せる事ができると記された天上の楽園、極楽の世界だ。そんな世界にどれ程の間、浸った気分になっていただろうか?しばらくして心地よい眠りから覚めるようかに目を開けた。すると目の前の聖母マリア像が目に入ってきた。その気品あふれる指先、神々しく穏やかな表情、いかなる罪人をも暖かく包んでくれそうな大きな愛に満ちた腕と胸。長い間どれほど人々の心を救ってきたのであろうか?しかし。しかし。眼前の像にミクロの距離を感じる僕の心があった。僕はこの教会をとても気に入った。教会の中で感じた静かな心地よさは久しく経験していなかった感覚だ。今、死地に追い詰められた時最後まで心に寄り添い、愛の微笑みを送り続けてくれる絶対的心の支えを求める気持ちは増々強まるものがある。観念的宗教論議を重ねる気持ちの余裕はもうない。「しかしなんだろう?僕の心にある聖母マリアの愛に飛び込むことを阻む薄い皮膜のようなものは?」この問いに答えること。それは今回の旅の目的、「ありのままの自分とは何か?」を見出すことに直結しているかもしれない?と、僕の心は直感した。そしてその問いの解答は意外なところにあった。

パソコンと哲学

イタリア滞在を通して僕は姉夫婦のところに滞在した。僕がマドンナ・ディ・サイアノ教会から帰った時、甥はパソコンを使っていた。僕の顔を見ると、彼は顔を上げ、パソコンのスイッチを切った。すると今まで画面に存在していた全てのものが一瞬にして消えた。その時だ。何かが僕の心の中でクリックしたのは。「ものは存在しない。それは一時の現象に過ぎない。」という考えが、まず浮かんだ。そしてその考えは、次の哲学的思念へと続いた。

万物の存在はこの画面に映った文字、絵、写真等と同じだ。パソコンの機能は我々の知覚作用だ。誰かがスイッチを入れ、あるボタンを押す。するとプロバイダーにプールされていた情報が一瞬のうちにして、我々が知覚作用を通し物を認識するように画面に映し出される。再びスイッチを切ると全ては消える。我々が目をつぶると物が消え失せるよに。
結局、物の生起は対象物とそれを映し出すスクリーンの両者によって成り立っている。片方でも欠けると物は生起しない。道元禅師が言ったことはこういう事かもしれない。「空は鳥によって生まれ、海は魚によって生まれる。鳥、魚、がいなかったら空も海も存在しない。」つまりこの世の万物は、スイッチを入れる前のパソコンの画面がなにも存在しなかった様に実体はないものなのだ。


僕が達した「ありのまま」を生きるとは

僕は以前一時しげしげと禅堂に通い、多くの禅関係の書物を読み耽った時期があった。よってそうした考えには比較的精通していた。が、今その考えが特別の意味を持って生きた言葉として僕の心の中に浸みこんでいくように感じた。
結局このことだったのだ。聖母マリアの愛を素直に受け入れることができなかったのは。つまりキリスト教はすべて言葉を通して「信じれば救われる。」に依存している。そこには天地創造の記述に象徴されるように、どこか僕の心に「本当?」という不信があったのだ。宗教は理でなく情に依拠していることは分かる。しかしどうしても僕が非キリスト教圏で生まれ育った故か?その不信を拭い去り、聖フランチェスコのように、祈りによって宗教的高みに達するには無理があるような気がする。
結局、僕の理性がギリギリのところで受け入れられる納得できる人生の在り方とはパソコンの画面に何も映っていない状態、万物の生起がなされていない本源の状態、つまり自己のありのままの更地の状態を生きるということなのであろう。その延長線上に僕は世界の不合理、不条理が雲一つない僕のありのままの心のスクリーンと外物が溶け合って作り出された光の洪水。その洪水によって洗い流された生死を超えた「空」の世界があると僕は信じる。
そしてその世界は今僕がこのブログを書くことに成り切っている無心なる「今、ここ」にあるということなのであろう。

・・・・・・・・・・という様なことを考えたイタリア巡礼旅行であった。もちろん帰路、Gチケットの手続きは係員に依存し、飛行機内での映画鑑賞の操作方法は親切なスチュワデスの好意に甘え、おまけにチェックイン・カウンターでお土産のブランデーを機内持ち込み品として堂々申請し、寸前のところで没収されるというお粗末なことをしでかす旅の幕切れだあった。
わしはホンマにアホや。

2014年6月22日日曜日

イタリアの修道院に禅の心を求めて


クス呆けたみすぼらしい一老人

襤褸布を身にまとい薄くなった伸び放題の白髪を風にさらし、前傾姿勢に肩を丸め、ブツブツ 意味不明な言葉を呟き続けるみすぼらしき一老人。目はどこかを見るでもなく、見ないでもなくただ枯れ葉舞う初冬の寒風に身を任せ、周辺で何が起ころうとも薄笑いを浮かべ、全く気にもとてない面持ち。その存在は周辺の風景の中にスッポリと溶け
込み、自己と外界の境界線が消え去りそれぞれがお互いに同化しさえしているようにさえ見える。これは僕が人生の究極の目標と仰ぎ見る子だ中国の仙人(老子)の達した
精神的境地の象徴的イメージです。そこに何かがある。じょ饒舌な今日の識者の論理、理解が達しえない何か

が。又、欲望と肥大と「そうあって欲しい」の願望が転化して絶対安全神話が作り出したこの閉鎖社会の下で病んだ心をそっと大自然の霊気で慰撫し、安らかな心へと導いてくれる何かが。と、僕は4月下旬から3週間程北イタリアのアルプスの
裾野の鄙びた田舎町にその何かを求めて心の旅へと出かけます。ルネッサンス期に建造され、いまではかび臭くさえなった小さな村の中央に位置する教会。その門から昔と変わらず礼拝を終え、敬虔な面持ち出で外へと出てくるアルプスの風土の下に生きてきた深い皺の刻まれた顔、顔、顔。その顔をそっと撫でて通り過ぎていくアルプスの山々から吹き降ろしてくる
初夏の微風。そしてその周辺一帯を降り注ぐ澄んだ陽光。「そこにいまの僕に必要な何かが
きっとあるはずだ!それにしても何故イタリア?

恥辱を求めて

ガンジーは「物事はアリの地点から見ろ」と言った。僕もその生きる姿勢にのみ「真理に根ざした生き方がある」と、謙虚に謙虚に生きてきたつもりであったが、いつしか知識の増大に伴う物を分かったような物言い、それに対する人々の賞賛により自我の肥大が起こり、他者が期待する人物像を演じ始めたのみならず、自分でも他者に映った自分のイメージが自分自身だと錯覚し始めたと最近強く感じるようになった。取るに足らない自己の核の周辺に付着しはじめたべとべとした自我のカス。そのベトベト感の感触がたまらず、又本来無一物の原点から離れていく自分に辟易し、又耐えがたき寂寥感さえ感じるようになった。
人生は生き物だ。その生き物が固定化するとみずみずしさが失われ、屍化した自分を引きずって過去の哀惜の中で淋しく生きねばならない。今まで蓄積した物を全て放り出さねば!これが今後生き生きと生きる唯一の処方箋だ。と、いう危機感から僕は今回のイタリア滞在で「今迄隠し通してきた劣等感などを全てさらけ出し、恥辱を味わいつくし自己内に巣食っている自我意識できる限り葬り去ることができれば」と思っている。
その延長線上に古今東西の聖人たちが達した時空を超えた大安心の境地をかいま見る事ができれば…と思っているわけです。
僕は各々の宗教間において、どんなにその土壌、根底が異なり対立していたとしても目指す目標は共通だと思う。その目標とは存在が根源的な統一へと回帰することであり、その回帰した状態を神の恩寵、仏、道(前述した老子の達した境地)と呼んでいるのだと思う。よって、僕はもしかしたらイタリアの片田舎の人々のキリスト教に根ざした素朴な生活の中に今僕に必要な何かが見出せるのでは…とイタリア行を決めたわけです。

修道院に禅の心を求めて

砂漠の夜は厳かで神秘に満ち満ちた空気がある。そんな環境下に神を求めて、キリスト教初期3世紀頃熱い宗教心に燃えた敬虔なキリスト教徒たちは移り住み、禁欲、祈り、瞑想の生活を送ったという。星降る夜空の下で絶対静寂に包まれて、無窮なる空間に目を放った先に彼等は一体何を見出したのだろうか?神との融合という唯一の目的の為に全てを投げ打った彼らの捨て身の求道。それは又、世俗を捨てて深山幽谷に悟りを求めた禅僧達にも通じるものがある。一方は神を、他方は悟りをと、言葉は違っても彼らが理(己)を手放した瞬間からの心の奥底に流れ込んだ一点の曇りのない絶対真理の光、その時経験した名状しがたき法悦感、「自分は永遠と繫がっている!」という意識にならない意識は同じだったと思う。そんな彼らが達した内的経験を中世の修道院の静寂の中に幾分なりとも肌に感じる言葉できればと、4月下旬イタリアに旅立ちます。帰国後、非キリスト教圏に育った普通の日本人がキリスト教が誰も話す人もなく胸締め付けられるような耐えがたき孤独感に涙すらでない心の涙を流している人、全ての希望を絶たれ自分の生をもてあまし唯、時が来るのを待っている人達に、本当に心の救いになるのか?といった観点から禅を通して僕が感じた修道院の内的経験を報告したいと思います。









2013年12月9日月曜日

究極の土壇場で心を支えてくれるものは?・・・人間?哲学?仏教?


取りとめない不安感が再び…
同世代の友が亡くなった。長年、人生の意義、死、愛等の青臭いことを語り合った友だ。そんな友も亡くなるのだ。死はもはや物思いに耽った若き詩人のロマンチズムの対象ではなく生々しい現実となった。それはある観点から物事見るなら、青春時代若き感性が生命体の有限性を初めて強く自覚し、純粋に死の恐怖と不安に心定まらぬ夜な夜なを送ったあの取りとめなき不安感が、青年、壮年期の様々な人生の甘味、辛酸を味わい尽くした後、再び戻ってきたということかもしれない。今度は、憂愁に沈み果てた心の中にも微かに宿っていた未知なる人生に対する淡いロマンもない。色褪せていく人生模様。欲望によって覆われていた喜怒哀楽を演じていた人生舞台が無常というダイヤモンド針によって脆くも弾けちり、包み隠しない剥き出しの人生そのものが露呈して行く。「どこかに隠れ場所が?捕まるところが?」と、心の拠り所を求めて必死の探索が始まる。しかし青々とした葉に覆われていた森も、木はすべて枯れ果て無常の風が荒野と化した森の上を寒々しく吹きずさむ。不安な日々の始まりだ。


100%確実な死の実感
僕は今まで生死に関連した本はかなり読み、一応その事は深く考えてきたつもりでいた。しかし
今回の友の死の知らせに僕は狼狽した。若き頃の「まだ先の話」と、多分に観念的だあった死へ
の思いとごく近い将来100%の確実性を持って起こりうるという死の実感とは大きな隔たりがあった。知識は死地に追い詰められた極限状態の状況では人の心の支えにはならないと改めて感じた。人間の理性は万物を全て飲込み押し流していく大自然の摂理、生成の変化の前では余りに無力だ。この絶対事実を強く意識していたからこそ、若き頃様々な宗教に首を突っ込んでみた。そしてその後もその生死の問題を中核として生きてきたつもりでいた。が、動揺した。求道の徹底度が足りなかったということだろう。又、妥協と安逸を基軸とした人間存在の暗部には本能的に目をそむけた危機感の失せた善良なる市民生活にドップリ浸かり過ぎていたという事であろう。


原始の叫び
しかし月光に向かって遠吠えするオオカミの原始の叫びが生命体の中核に戻ってきた。近代の禅の中興の祖といわれる白隠が、幼少時代海辺の上を流れる浮雲を見て無常を感じたあの純粋な時空感の無限を感じた時の取りとめなき不安感だ。その味は苦く決して心楽しませてくれる物ではないが全てが真実に満ち清潔だ。「いよいよ来るべきものが来たか!」と、心は身構える。今回は先延ばしにはできない。今後どのような気持ちで人生を送れるのか?ここで決定するといっても過言ではない。快活な生活を送りながらも、加齢と共に色濃くなっていく死の影に心の奥底で不安を抱きながらも従来通りの現生的喜びに依存して、その不安を払拭しようと努める日々を送るのか?それとも、笑い興じている真っ只中にも心の内に忍び込んでくるその空しさの感情に耐えられず、意を決して生死の問題に真向して対峙し絶対的心の拠り所を掴みとり覚悟して今後の人生を送るのか?どちらの選択をするにせよ、その決定の持つ意味は重い。


崖っぷちで心を支えてくれるものとは?
その結果は、死の直前の心の状態に如実に表れることは確実だ。そしてその死は遠い将来の話ではない。いつでも起こりうる問題なのだ。もう一刻の猶予も許されない。ギロチンが今にも落ちようとしている状況なのだ。絶体絶命だ。こんな時と言える。自分が崖っぷちに立たされた時、本当に心に最後の一瞬まで寄り添い見捨てずに支え続てくれるものは何か?と分かるのは。それは人間には求められない。非力な人間は、救いのない絶望のどん底にいる人間の心に対して絶対的確信を持って「心配しなくていい」と言って心安らかな微笑を送ることはできない。それは理を超えた迷える子羊を、大きく広げた腕で抱きしめてくれる大安心を約束してくれる絶対世界からの救いの手なのだ。


心落ち着かせてくれた一冊の本
その様な事を考えていた時だ。「歎異抄」という衝撃的な一冊の本に出会ったのは。「善人さえ浄土に生まれる。まして悪人が浄土に生まれないわけがない。」と、その本は他の全ての宗教と逆のことを言っているのだ。又、その本は「煩悩に塗れた、浅ましき我々人間がどんな修業、善行を行ったとしても迷いを離れた絶対的大安心に達することはできない。唯、救済者阿弥陀様に「「南無阿弥陀仏」と連呼し助けを求めなさい。一切自力行為は放棄し、無心にお頼み申せば誰でも分け隔てなく救済してくださる。」とも。この逆説に満ち満ちた薄い本を一字一句吟味しながら一気に読み上げた。そして思った。この教えは人間を知りぬいた上に書かれている。一部は受け入れ難く反発を覚えるが、全体として宗教書特有の嘘臭さがない。何よりも、不思議なことは僕の心が落ち着き、友の死以来心を覆っていた灰色の雲が薄らいだような気がしたことだ。又、この教えはかつて経験した立ち上がる気力のない程の気だるさに襲われ、弱弱しい自分の呼吸の音を友とし無力に床に伏している様な絶望的状況に陥った時、心から離れず支え続けてくれるでは?とさえ思わせたことだ。この僕の心の内に起こったことは、若い時宗教に対し一定の距離は保っていた人たちが、晩年になって宗教に改心することと関係しているかもしれない。それは一人何の鎧もなく大自然に没していくことへの実存的不安感、人間的弱さ故と解釈しうるかもしれない。しかしここで大事なことは僕の心がかなり晴れがましくなったことだ。


心軽やかにしてくれた本の中身
そうした心静まった穏やかな気持ちで外界を眺めると、全てが愛おしいものに見えてくる。猫が大あくびをしている。枯れ葉が次から次へと地面に落ちていく。なんと心軽やかな気持ちだ。この気持ちはかつて禅堂で真冬に座禅をしていた時感じた心の状態と似ている様な気がする。体得を目指した自力を標榜する禅。信心に全面依存した他力を標榜する浄土宗。対極にあるこの二つの教えが何故同じような気持ちにさせるのか?この問いに対するぼくの解釈は、詰まる所はすべての宗教の最終的に目指すものは(無心)に尽きるということだ。この観点から僕が関わった宗教を考えてみると、全ての宗教はこの点で一致し、さらには狭い競技の解釈を超えてお互いに共鳴できる土壌さえ生まれてくる様に思われる。僕は長年、禅との関わりをもって生きてきたが、不思議なことに禅の対極と思われていた「他力」の思想の本質を表した「歎異抄」と出会ったことで今まで以上に禅が肉体を通してより深く理解し始めたと感じる。人はただこの世に生まれ死んでいく。その孤独の人生を歩んでいくためには、大きな腕に抱かれているという意識があったほうが心安らかな一生を送れることは確かだ。その意識にならない意識を生み出してくれるのが無心、つまり自分が生まれ出た故郷に全てを委ねるということだと僕は理解する。


万物と一体化した心安らかな人生
人はこの世に生を受けて以来成長と共に自我が成長し、その自我を自分の人生の中核に据え人間社会の中で数多の喜びを覚える。しかしその喜びを獲得できない、又その獲得した喜びを喪失する時人はいかに悶え苦しみ、七転八倒することか。その喜怒哀楽が人生という解釈も成り立つ。しかし自分がいかにのたうち回っている時でさえ、季節は巡り、時は休むこともなく淡々と何事もないかのように推移しているのだ。本当に人間として成熟いくとは、人間社会の背後にある絶対世界に目を向け、徐々に我という意識を薄め外物に心を開いていくことではないか?
その先に、小鳥のさえずりにさえ喜びに心震え万物と一体化した心安らかの人生が待っているのではないか?と僕は思う。そんなことを友の死は考えさせてくれた。

カエデの木が枯れ葉を友の墓石の上にまき散らす。友の深い瞑想が破られないことを願う。



2013年9月24日火曜日

Mr.LONLEY  (ミスター・ロンリー)

ジェット・ストリーム
 「 寂しい、僕は一人ぼっち                                 ”Lone~ly, I'm Mr.lone~ly                     

 僕には誰もいない                   I have nobody for my own
 とても寂しい 一人ぼっちなんだ           I'm so lone~ly, I'm Mr. lone~ly
   誰か電話をかける人がいればな~」         wish I had someone to call on the phone"

 
と、甘く切ない歌声がラジオから流れる。その言葉は孤独者の胸深く染渡る。「一人ぼっちは自分だけじゃないのだと」。その歌声は間もなく包容力のあるオバマの様なバリトンの声に変わり、荘厳で静謐な宇宙の営みを謳ったナレイションが読み上げられる。

「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心休めるとき、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、
絶え間ない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただく果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に心開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂の、何と饒舌のことでしょか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります。」

そのナレイションの美しい詩的表現に心酔いしれ、それが読み終わる頃には心は1600km/hrで自転しながら、10万㎞/hrの速度で暗黒の宇宙を旅する我々の故郷、地球上で宇宙の風を感じる。そして自分のちっぽけな悩みから暫し解放される。これは70’s年代に人気を博したラジオの深夜番組のイントロ部であるが、今もなお世界中至る所で天から降り注ぐこの種の調べを必要とするMr.lonelyは無数にいる。その何人かをここで紹介したいと思う。


アメリカ、日本、シリアのMr.Lonely
アメリカの16歳のジョージ君は、リーマンショックの影響で父親は失職し今家庭は衣食住にも事欠く有様。将来法律家を目指していた彼は将来の道筋が描けず独り心閉ざす毎日。日本の25歳の真澄さんは教師として一年間不合理で理不尽な学校組織、人間関係との戦いに疲れ辞職し、今大学に戻り教育関連知識を深め再度教師に挑戦をと勉学に勤しむ日々。38歳のシリアのシャナッツ
夫人は銃声の飛び交う内戦シリアで命を賭して自由な社会を求めて反政府活動に明け暮れする日々。みんなひっ迫度の差こそあれ自分の信じる道を求め、ある時は折れそうな心を奮い立たせ生きているMr.lonely達だ。


最大の敵は自己の内に
世界中のMr.lonely達よ!今日は彼等と共にお互いの内なる苦悩を分かち合おう。人の心は瞬時目まぐるしく変化する。「絶対に!」と固く決意した心も時の移ろいとともに薄らいでいく。「自己の道を歩む最大の時は自己の内にある。今日勇気と希望を持った者でも孤独が我々の決意を疲弊せしめ、(自分は寂しい)と言わしめるだろう。」とはニーチェの言葉だ。向こうにはあんなに穏やかで明るい陽光に包まれた楽園が…」と夢の中で呟くかもしれない。


雲水(禅の修行僧)の生き方が我々に
そんな時、心を支えてくれるのは偽善的な優しい言葉ではない。自分たちより何十倍もの過酷の道を歩んだ人々の生きた言葉だ。僕が奈落の底に沈んでいく様な内なる危機感を感じたとき勇気を与えてくれる一枚の写真がある。右に示した雲水たちの生き方を象徴した写真と言葉だ。

夏、早朝初、日の光が土塀を超えて地面に落ちる。禅寺の境内に立つ。静寂。「時」が私の全身をすっぽりと包み、やがて体に浸透してくる。「彼等」は何を求めて、寺院を捨て、地位を捨て厳しい修業に身を投じたのであろうか?  「彼等」は今、何処に行っててしまったのだろうか?                                                                                      


彼らの全てを捨て切って己の道を求める孤高なる生きる姿勢はいつも僕の甘い心を奮い立たせ、
新たな挑戦のをする勇気を与えてくれる。


サムライ Mr.lonely
運命の悪戯故か?「これ以外に自分の進む道はない。」と自己の運命を生きる覚悟した人にとって
命がけで自己の道を歩んだ人の言葉は珠玉だ。最後にこれ以上過酷な苦難の道を歩んだ人は今にも過去にもいなかったと言える程、孤高なる熾烈の人生を歩んだ我々の大先輩のMr.lonelyを紹介しよう。生涯に渡ってハエを箸でいとも簡単に摘まむほど精神修養を積み、剣の道を究めた剣豪宮本武蔵だ。武蔵が自己の弱さ、甘い誘惑の負けそうになった時自分の心を支えた生活信条がある。死の直前洞窟で書き上げた「独行道」という人生哲学だ。ここにみんなで吟味しよう。

1.生涯欲にとらわれず

2.自分の行った行為は後悔しない

3.別れは悲しまず

4.恋心は持たず

5.美食にとらわれず

6.いつ死んでも後悔はせず

7.仏神は敬うがそれに依存せず




自分の悩みなどまだまだ
これに目を通した後、普通の人は「何のために一般の人々の喜びを放棄して、そこまでしてそんな過酷な道を歩んだのか?」という疑問が当然起こるであろう。それに対するぼくの解釈は「ほかの人生を選択しても自分は決して幸福になれない。」と絶望的に感じるほど彼が求めたものは自己の核心的な問題であった。」ということに尽きると思う。人にはそれぞれ自分に与えられた宿命というものがある。その宿命を妥協することなく真摯に追及することこそ真の本当の幸福を見出すことができるのだと思う。武蔵の場合剣豪としての天才を生きること。その生死の狭間のギリギリのところで喜怒哀楽に基ずく人生を生きる我々普通の人々が達しえない恍惚感を経験していたのだと思う。自己の道を求めるということは、ここまで厳しいということであろう。我々一般の人間は彼のような極端な人生を歩むことは不可能である。が、少なくともそこから己の道を歩むということの厳しさを知り、そうした人々の人生に比べれば「自分の苦悩などまだまだ・・・」という勇気をもらうことは可能であろう。



防人のMr.lonely
ジョージ君、真澄さん、シャナッツ夫人、そして世界中のMr.lonely達よ!暫し耳を澄まそう。そして心に染渡る防人の孤独を謳った”Mr.lonely"二番を聴こう。

僕は兵隊なんだ                     I'm a solider
孤独な兵隊なんだ                                                            a lonely solider
望んだわけでもないのに家から                              away from through no wish of my own
遠く離れ                                                                   
だから寂しいんだ。一人ぽっちなんだ                     That' s why I'm lonely . I'm lonely 
家に帰れたらどんなにいいだろうな~                     I wish that I could go back home



2013年8月31日土曜日

空しい喜びから心満ちた無心の生活へ

「美味しかった。気持ちよかった。」






お手紙有り難う。相変わらず行動派の君らしく東に安くておいしいレストランが開店したと聞けば仲間誘って一目散に駆けつけ、西にカラオケ無料日帰り温泉開店記念サービスの情報が入ると心躍りだし、南に・・・・・北に・・・・・といった「美味しかった。気持ち良かった」型生活に明け暮れている事。元気でなりよりな事です。しかし気になったことが一つあります。それはそれ程多くの楽しくあるべきことをしながら空しさ、しらけのような感情が行間に滲み出ていたことです。依然僕も今の君と同様な生活を送っていたことがあり、生まれて初めて本トロをたべた時の感激は今でも忘れもしません。


こんな生活楽しくない。

しかし今は全く生活形態を変え、質素で慎ましやかな生活を送っています。ことの始まりはある日友人たちと奢侈な欧風レストランでフランス料理を食べていた時のことです。心地よい空間、友人たちの快活な笑い声、全くいつもと変わらぬある午後のひと時。眼前にはコバルトブルー湘南の海を疾走する白い一艘のヨットが。その時です。急に心の内に見知らぬ空しい様な感情がどこからともなく湧いてきたのは。その感情は後に「僕はこの生活を楽しんでいない。」と強く自覚させました。それ以来です。僕の生活が一変したのは。


「こんなことしていられない」と24歳の女性

先日24歳の女性と談笑を交わしていた時、彼女がいきなり「そうね。私もいつか死ぬのね。こんな事していられないわ。」と言い出しました。この女性を自覚せしめたもの、僕を狼狽させたもの、そして君のメールに滲み出ていたものは本質的に密接に関係していると思います。


猫の糞の防波堤

僕もあまり偉そうなことを言えた義理ではなく、今から書くこともあの日以来の連夜の読書から知ったことですが我々の「隣の猫芝生に糞しやがって!」といった小さな出来事の集積からなる
日常生活を実は尾崎豊の問「自分の存在がなんなのか分らず震えている。」とか、がんの宣告によって今までで後生大事にしていた人生の舞台装置を根底から揺るがす「自分って何のために生きてるの?」という実存的問を直視することから救ってくれる防波堤のような役割を果たしていたということです。つまり生老病死の現実を誤魔化すことの手助けをしていてくれていたわけです。行動派の友よ!残念ながら君の心の中に人生の秋風が忍び込んできたように思います。東にレストラン開店すれば・・・といったのりに乗ったあの時の気持ちは再び戻ることはないと思います。


あっきぽの家の猫

家の猫は同じキャット・フードを続けざまに上げると直にぷんとソッポを向いてしまいます。時には
お気に召さなかったキャットフードに向かって土をかけるような仕草さえします。飽きてしまうようです。我々も同様、始めどんなに刺激に満ち満ちたものでも時の推移とともに感激は薄れていく。だから新たな刺激物を求める。それも前のものよりより強い刺激物を。「その繰り返しが人生よ。」と言ってしまえばそうかもしれないけれど何か一抹の淋しさを覚えませんか?あんなに子供の頃から憧れた生活が手に入っても、その喜びはつかぬまどころか空しい感情さえ覚えるなんて。「方程式通りにはがいかないのが人生。だから人生は奥深い。」なんて最近悟ったようなことを言っていますがあの日以来一時「以前の生活にどこが問題があったのか?」真剣に考えましたよ。



遊びは真剣にやらないと

そして僕は二つの決定的間違いをしていたことに気ずきました。一つは真剣に遊んでいなかったことです。やはり恋でも趣味でも苦痛を伴なう程のめり込まないと人生で一番大切な熱い感激が得られない。特にその感激が上っ面だと心は徐々に地割れを起こし干からびていく。登山家が一銭にもならないのに命がけでエベレストのような山に挑戦する。登頂成功しても又次の山に挑戦する。ああ彼らの気持ちはこういう所にあったのかと初めて分った気がします。人生所詮遊び。その遊びをいかに真剣に行うが人生の達人の極意というものでしょうか?


フルーツ・パフェ食べ続けて幸せ?

二つ目は時には「このフルーツ・パフェ最高!」もいいけど今やっていることが自己表現ととなり、それが未来に渡って永続していくという実感がないとトロを食べ続けた結末と同じ空しく感じ始めるということです。多くの人は安定とか不安を理由に就職したり、結婚をしていきます。でもお金の問題なくても同じ選択をしたか?ということです。自分を理性で納得せしめて行った決定は、
自己の核心から湧き出てきたものでない故に行く行くは心から楽しめないという理由で何度もその選択肢を疑問視せざるえなくなるように思います。世間的価値観に惑わされず自己の核心から湧き出てきた純粋無垢なる欲求、その欲求の実現途上にいるという自覚ほど人間に充実感をもたらすものはないように思います。


一日12時間以上働いても幸せ

僕の義兄は小さい時から自分のカフェ・バーを持つのが夢でした。だから大学にも行かずその周辺の仕事に就き26歳でローンを組んで自分の店を持ち今では一日12時間以上一年中ほとんど休みも取らず働き、そんな過酷の生活にも充実感があるといっています。店のインテリアを今度はどう変えようか?そうした仕事は正に創造的な仕事であり、自己表現です。子供のころ何かが彼の心を捕えカフェバーで働くってカッコいいと思った。その気持ちは後に自分が店を持てたら…に変わっていった。そして今その延長線上に自分がいる。その一連の流れは彼の内なる純粋主体がこの世に形となって表れていく過程であり、その形成過程を通して自分自身になっていくことだと僕は思います。


断捨離

そんな彼も今深刻な問題に直面しています。後継者の問題です。彼には一人息子がいますが

父親の仕事を引き継ぐことは今一つ積極的ではない。彼が引き継がないと今まで彼が築いてきたものは消えてなくなる。でも最近はこう考えるんですよ。これが世の定めで大自然の摂理。無常から逃れられるものは一つもないってね。時間的スパーンの長い芸術作品、石の建造物、子孫さえ悠久の時の流れの中でいずれは砂に埋もれて没していく。この誰も考えたくない冷厳なる現実。でも僕はあの時感じてしまった。ずいぶん悩み、数えきれないほどの眠れぬ夜を過ごしましたよ。糸の切れた凧のように暗黒の宇宙に投げ出され自分の立つ確固たる足場を求めて。何処にいても自分はそこにいない感覚。社会の絡繰りが全く意味を失い、人々は人生の意義を装っている様に見えましたよ。喜怒哀楽の情念の嵐の中に逃げ込みたかったですね。生きるべきか or 死ぬべきか?あの時は際どいところだったですね。その僕を生の側に留めてくれたのは「捨てる」です。


泡粒のような我々の存在・・・でもこれはいける

そこに辿り着くまで座禅を組んだり、山中深く分け入って思索にふけったり、教会まで行ったりして色々なことしましたよ。でも心定まらぬ空中に浮いた様な不安の日々続いた。自分にも持て余しましたね。こんな心の状態がいつまで続くのかねって。そのうち自分に嫌気がさしてもうどうでもよくなちゃったですよ。そして「あ~面倒くさい。いっそ自分をそっくり捨てちゃおうか」と思いましてね。「自分を捨てるか?」と心で呟いたらスート心が楽になったんですよ。そして「どっちみち泡粒のような我々の存在、そんなに大事にしてビビった生き方してもしょうがないじゃないか。」という考えが続きましてね。その時直感的に思いましたね。「これはいける。暫く自分を捨てた状態で生きてみようか?」てね。


心安らかな気持ち

すると街を歩いてても気持ちが全然違う。失うもののないから心はガランド。目に入るもの耳に入るもの全てが窓が開け放たれた時の様にそのまま直接ありのままで入ってくる。それは新鮮な感覚でしたよ。そのうち見聞きしている自分と外のものが接近してきて徐々に見聞きしているという意識すら薄れてきたんですよ。それはねえ~、心穏やかな気持ちでしたよ。これで僕も何とか生き続けられるのかな~と本能的に感じましたね。


茶の味

どんなに文明が進んでも人間は生老病死の運命からは逃れられない。一時人生に用意された甘味な欲望を充足して天下を取った気になっても、いずれ秋風が人間の心の中に入り込み空しい感情を運んでくる。そうした感情とは無縁の生活を送りかったら人生を一度全面的に懐疑の目を向ける必要があると思うな。そうした後に生まれる人生の肯定は味わい深い。今、ここ生きていることを本当に有り難いと思う。あの決定的瞬間に理屈抜きに穏やかな気持ちになれたのはちょっと誇大解釈かも知れないけれど、無心から流れる永劫不滅な生命の水脈が乾いた僕の心を満たしてくれとさえ思っているのですよ。「こうした心で味わうならフルーツ・パフェも、茶人が一服する茶の味とも等しいといえるかしれない」とさえ今思っています。

人生の皮肉

でも人生って面白いと思いませんか?始め安定した幸福なる生活を求めてその条件固めに奔走した。それがほぼ成就するとそれを推し進めた自我が空しさを覚えそんな生活は楽しくないと感じた。そして自我を捨て去ることによって心豊かな喜びを感じ始めた。これが人生の皮肉というものですかね?こんなところが今の僕の心境です。ここに書いたことが人生の秋風が吹き始めたと思われる君に幾分参考になれば幸せな次第です。次回の君からの便りが楽しみです。




2012年12月9日日曜日

クリスマスと禅

クリスマスの憂鬱
再び一年で最も憂鬱な時期がやって来た。街のそこかしこにクリスマスツリーの灯りが灯り、町全体がそこはかとなくきぜわの空気が漂い始める頃、僕の気持ちは日々増してゆく街の賑いと
は裏腹に重く空しくさえなる。ある人はこんな僕を変人呼ばわりする。 キリスト降誕を祝す一年で最も神聖で厳粛であるべきこの時期。何故人々はしばし立ち止まり、慌ただしい日々の中で
擦り減っていく自己の心を見つめ、内省的時を過ごそうとしないのか?一年に一度くらい日頃の
ノボセをさまし、無数の星に散りばまれた夜空に向かって深く息を吸い込み、永遠、無限という次元から人間の存在意義、真実の生き方を説いたキリストをはじめとした先人たちの教え、叡智に接し新たに自分の人生を捉え直してもよいのではないか?ちょとお堅いじゃない?と反発を唱える人もいることは十分承知。 そうした僕の思いと街全体を包むお祭りムードの落差が僕の気持ちを孤立へと追いやる。僕は絶対世界には僕の気持ちとシェアできる人がいると信じているが


孤独な魂同士の軌跡的出会い
そんな時人生そのものに真っ向に向かい合い、ある時はよろけ、挫折、絶望を繰り返し、ギリギリの地点で生を肯定的の受け入れた葛藤と苦悶に満ちた人生を生きた偉大なる高貴な魂に触れることは救いだ。というわけで、毎年この時期僕はタイムトンネルを通り精神的癒しの旅にでる。 僕は自己の人生を正当化するためにあらゆる詭弁を弄し尤もらしい理由の上に成り立った
妥協と安逸を目的とする世間的価値観に偽善的なものを感じ、そこには絶対的心の拠り所はない絶望的に感じて以来、幾人かの本物の人生の師に出会った。過去にも僕と同じ悩みを苦しみ、その悩みを血と涙で克服した人がいた!この発見は孤独にさいなむ僕の心を何と勇気ずけてくれたことか。この時空感を超えた孤独な魂と魂の出会い。それは砂漠でオアシス見つけるのに等しい。ここに本当に信頼できる人がいた。彼らの想像を絶する苦悶の末に見出した人生の方向性は前方に広がる暗闇の中で光の道しるべの様にさえ感じた。


出会った師が示した教えの中枢
その彼らの教えには共通するものがあった。それは要約すると、感情を許さず理知の光のみで冷徹に人生を見るならば、世は無常で我々はただ生まれ死んでいくのみだ。その理が行き着いた限界地点で安易な世間的価値観の誘惑に惑わされることなく、もがき苦しみ続けていると、結局自分の苦しみの根源は我という意識ということに気ずく。そこで一度我という意識を捨て去る。
すると何と心は軽くなり世の中は以前とは異なって心に映る。というのが彼らの教えの中枢であるが、そこにはすべて無我の考えが土台にあると僕は感じた。


多くの教えの中で何故禅を?
 そうした多くの教えの中で最終的には僕は禅に辿りついたわけだが何故禅であったかをここで若干語りたいと思う。その理由は一言で云うなら禅には我という基軸がないということである。他の教えは全て我という意識と自分を取り巻く対象物との関係性を問題にしている。しかし例えば視界が捉える目の前の猫から想像が捉える大宇宙ので彼方まで全ては中心点の自分という存在がなくなったら万物は存在し続けるのか?という疑問である。この問いが青春時代より心に引っ掛かり、あれ程までに聖フランチェスコの純粋性、無垢なる魂を愛しながら彼の教えを全面的に受け入れることができなかった理由である。しかし自分という核が消滅したなら、一体どのようにして自己と世界の関係性を築き、そこから無常という絶対真理を見定めながら真理に則った人生を歩み出す事が出来るのだろうか?そしてその道には最終的に平安な心が約束されているのだろうか?ここが僕が一番苦しんだところだ。この問いに唯一納得いく答えを示していたのが禅であったということだ。つまり無心、空、般若の教えであった。


無心の教えとは?
無心は絶対意識では捉えることはできない。それは絶対的自己否定の上に成り立っている。枯れ葉舞う秋風に吹かれ大自然に全てを委ねその情景の中に溶け込んでいる白髪の仙人。それが無心の象徴的イメージだ。無心ということは我と外界物の対立はない。つまりそれぞれがお互いに溶解し合い同化してる。我が動くと外界物も一緒に動く。一心同体だ。一瞬でも自己意識するとその関係性は崩れる。又我という中心がないから時の流れにも左右されず過去も現在も未来もその分断はない。ただ過去も未来も凝縮した今があるだけだ。僕は聖フランチェスコが神の声を聴いたときこの無心の境地に達していたと解している。が、その後彼の無心に理が介在し彼の内的経験をキリスト教的に解釈したところが禅と袂を分かれるところだ。もし聖フランチェスコが天国において我々の魂は救われるという意識すら捨て去ったとしたら、もっと共に戯れた小鳥たちの心に近ずいたかもしれない。つまり僕が他の教えではなく、禅に惹かれたかはキリスト教を始めとする他の教えは固定的で人為と理知の臭いがし、禅には流動的で土臭い自然の臭いがしたからだ。


悟り臭さを抜く修業
禅には聖胎長養といって、自分の悟りすら意識せずしてその悟りが血肉に流れるように全国行脚して悟り臭さを取り除く修業がある。禅僧の中には河原乞食に混じって過酷な修行をする者もいる。何がそこまで彼らを駆り立てるのか?それは死よりも怖い実存の深淵を垣間見てしまった者の、真の心の故郷を探し求めての血の滲む全てを投げ捨てての模索なのだ。その道は僕の前に果てしなく延々と広がる。いつの日のことだろうか?その故郷に帰還できるのは?その時僕はこのクリスマスの賑いを穏やかな気持ちで迎えることができるかもしれない。

2012年9月23日日曜日

自死とフランチェスコが示した絶対的幸福

生きるべきか死すべきか

耐えがたき絶望から命を絶つ者がいる。又その絶望を耐え、その経験を肥やしとして意義ある人生を送る者もいる。両者を隔てる物はほんの僅かだ。運命的人との出会い、個人的資質、精神的支えの有無がその相違を生む。人生を真剣に考えた者なら一度は自死の誘惑に駆られる経験があっても不思議ではない。そこまで行き壁にぶち当たらないと本当のものは見えてこないし、乾き切った喉に水が浸みていくような人生の真の喜びも悲しみも分らない。

小鳥に話しかける聖人

人生のブラックホールを通過した者達が、決まって感謝の気持ちで人生の同胞者の大先達として仰ぎ見る、あるタイプの人物像がある。自分たちが絶望のどん底で喘いでいた時、自分達が味わっている絶望の数倍もの血みどろの過酷の経験をした末の穏やかではあるが全てを受け入れた確固たる表情で勇気を与え、絶望状態から救出してくれた人々だ。そうした人々は何故か特有の共通の特徴を持っている。幼児の様に純粋無垢で飾りがなく構えた所もなく、一見単純そうで静けさと内面的強さを内包している。ある時小鳥と話しかける聖人の絵を見た。その聖人は12世紀に生きた聖フランチェスコという人であった。その後偶然にその聖人を描いた"Brother Sun and Sister Moon"という映画を見た。直感的に感じた。この人は本物であると。

変わらぬイタリアの精神風土

そしてこの聖人を育んだ精神風土はいかなるものであるのか?という問いが心の中に起こった。その問いに促され訪れたイタリアのウンブリア地方という所はあちらこちら500年前に起こったルネッサンス期と変わらず一日幾度となくあちらこちらで教会の鐘が鳴り響き、多少の近代化の影響は受けているものの当時と同じ文化的土壌の上に、当時と同じ建物の下で陽気に生活を楽しむ人々がいた。

聖地アッシジ

聖地アッシジはさすがに聖地を思わせる多数の巡礼者、大通りを行き来する聖職者の姿、数多くの教会があった。それにしても何がそんなに数多くの巡礼者たちを世界中から引き寄せるのであろうか?みんな心の中に何らかの痛みを抱えその痛みを癒されようとやって来たことは間違いない。

神の声

言い伝えによると、フランチェスコは何一つ不自由ない環境で生まれ育ち若かれし頃は放蕩生活に明け暮れた日々を送ったという。その後勇敢な戦士に憧れ戦地に赴いたが、瀕死の重傷を負い帰国したという。彼は戦場にて夥しい人の血の海を見た。そして帰国後しばし熱に浮かされ生死を彷徨った。熱に浮かされているとき彼の脳に去来したものはいかなるものであっただろうか?いわば彼は人生の甘味と苦みの両極を尋常の者が推し量ることができない程経験した。そんな人間が生に留まるとしたならいかなる道が可能であっただろうか?今回訪れたウンブリア地方の田園は果てしなく広がり、遠方に見える教会は靄に包まれていた。その遠方から鳴り響く教会の鐘の音を日々聞きながらウンブリアの草原を走り回ってフランチェスコは育ったのだろう。又街の中央に位置する彼が洗礼を受けたというサン・ルフイーノ大聖堂で時として敬虔に神父の話に耳を傾けたこともあったでろう。そうした風土、精神文化土壌の影響が無意識のうちに次第次第に彼の心の奥底に沈殿していった。生死の崖っぷち。そんな絶対絶命の状況でそうした眠っていた沈殿物が生の方へと押し上げるエネルギーとして働き、神の声として現れた。その声が彼を生に留めた。そんな解釈が生まれたのは早朝、鳥たちが清澄なる空気を震わせる空の下に広がるウンブリア地方の田園風景を眼下に、フランチェスコが神の声を聴いたといわれるサン・ダミアーナ修道院へと続く道を辿っていき、着いた修道院の前で奥のほうから流れてくる抑制されたこの世のものとは思えぬ信徒たちのミサの声を聴いた時であった。フランチェスコは絶望を克服し、確固たる足取りでその一歩を踏み出した。そのときの彼が経験した熱い思い、絶対的確信が人々をアッシジへと引き寄せる。

永遠の幸福

彼は44歳で死んだ。しかし彼の一生は誰よりも幸福だったといえる。彼には奪われ物がなかった。
命すら神の思召しとして喜んで差出したことだろう。彼の一瞬一瞬は永遠へと続く道であった。よって一般の人の最大の恐れ。無常、死の恐れからは無縁であった。徹底的自己否定から生まれた永遠の幸福。それは青春時代快楽の限りを味わい尽くし、戦場にては無数の悲惨極わりない人の死を見た彼だからこそ辿りついた幸福といえるのかもしれない。

巡礼を終えて

今日、老若問わず多くの人々が自ら命を絶つ。そのほとんどのケースは今迄心の拠り所としていたものを失った故のものだ。世は無常だ。その無常なものに全面的に心を預けることは余りに無防備とは言えないか?生死の崖っぷちで追い詰められたとき人は自分以外のことを考える余裕はない。そんな時全てを受け入れてくれる絶対的心の拠り所こそ生の方向へと力を与えてくれる唯一の源泉ではあるまいか?フランチェスコは全ての世俗の喜びを放棄することにより新たな人生の道を歩み始めた。彼が命を絶つことなく生に留まる選択をしたのはほんの紙一重のところだったといえる。人には様々な幸福感があってもよい。しかしフランチェスコが示した万物のすべてを等しく受け入れ友とする絶対時間の中に生きる生き方こそ何ものにも壊されることのない揺るぎない幸福といえるのではあるまいか?そんなことを感じ考えたアッシジへの巡礼の旅であった。